商品のご紹介

無茶々園のみらい

無茶々園をつなぐその「みらい」を考えるにあたり

40数年前、近代農業への疑問から農家らしい暮らし生き方を自問し有機農業に出会った。
そして産直という仕組みを手に入れ、有機農業運動、生協運動、労協運動の成長と共に無茶々園も歩んできた。
環境運動、地域づくりなど、都市生活者からもたくさんのことを教わった。売り買いだけではなく、世の中を良くしよう、変えようという市民運動だ。

そして40年が経過したいま、無茶々園の園地は旧明浜町の約3割、狩浜地区の約7割に広がった。
非農家出身の若者グループが地域の担い手となり、海の生産者と地域循環型産業振興を確立し、ヘルパー講座の開講をきっかけに福祉事業にも挑戦し、廃校となった小学校施設の利活用に参画し、単なる農業団体にはとどまらない形を作ってきた。

平成28年度農林水産祭ではむらづくり部門の天皇杯をいただいたが、これは無茶々園だけではなく多くの生産者と消費者・都市生活者との共感による運動に対していただいたものだと考えている。

無茶々園は一定の成果を得たと考えても良いのかもしれない。
しかし、天皇杯が頂点、もう上がることはないとも皮肉られることもある。
確かに生協運動も産直運動も横這いが続き、無茶々園も事業は少しだけ右肩上がりの状況にある。新しい事業、運動を起こせない組織は衰退してしまうことは歴史が物語っている。

では、これから無茶々園は何を目指すべきか。地域自給と事業推進による自立したモデルを作り上げ、まちづくりまで事業化すること。無茶々園のモデルを世界へ広げ、ネットワークを構築すること。そのために重要なのが、都市の人たち、世界の人たちとつながる共感力だろう。
西予市はこのままでは30年後に64歳以下がゼロ、75年後に人口がゼロになる。そのためにも地域循環経済と地消地産を進め、医療福祉予算から子育て予算へシフトし、若い家族の定住促進をしなければいけない。『里山資本主義』の著者である藻谷浩介氏がこう提起されている。

無茶々園は続いてきたが現実には人口も減り、いま目の前では秋祭りが継承できなくなるのではないかという危惧が芽生えている。
親戚が盆正月に返らず、秋祭りには帰ってくる地域。祭りは誇りであり、小学校の廃校のような衰退を繰り返したくはない。
だからこそ、また10年後のあるべき姿をデザインして具体的な目標を立て、日本一のまちを目指していく。
無茶々園のみらいを考える時期なのだ。

  • みらいへつなぐ「想い」
  • みらいへつなぐ「人」

つなぐ「想い」無茶々園をみらいへつなぐ考えや取り組み

これからの山と海を描いていく

無茶々園を立ち上げた世代から後継者や新規就農者へ、地域の農業・水産経営の主役が移りつつあります。
戸数が少なくなるなか、これから若い農家に求められるのは栽培面積の拡大と経営力。新規就農者グループの活動も広がり、小中規模の家族経営がすべてだった農家構成から、経営はより多様な構成に変化しつつあります。
また地域内外へ有機栽培の広がりを作ってきたなか、これを継続していくためには栽培・技術でも自信を深めていくことが重要です。
高齢化や農家数の減少を補いつつ、より品質面への要求が高まる販売環境の変化にも対応し、生産地としての足場を固める。難しい課題ではありますが方向性は明確になっています。
段々畑や漁場など地域の環境を維持しながら若い担い手が自分らしい新たな問題意識を無茶々園の栽培や経営に反映させる。それを共に話し合い進めていく組織でありたいと考えています。

  • 柑橘園の改植推進
  • 後継者、新規就農者の育成
  • 地域循環型産業の確立
  • 海の森構想
消費者・都市生活者との新しい関係を

無茶々園の40年の歴史を振り返ると、生産者と消費者をつなぐビジネスモデル=産直運動を手に入れることで事業として成り立ってきました。このモデルを進化させることがこれからの事業や運動の飛躍には必要です。
生き方、仕事、暮らしといったモノ以外の関係性がポイントです。ここ明浜の自然条件では、一次産業の生産性を高めようとするだけでは地域の厚みを維持できないでしょう。産物のやりとりにとどまらず、よりモノからコトへ。この地を訪れ、関わりを強めてもらえる仕組み作りを進めます。

関わりの一つは観光や交流です。
特に狩浜地区では、営々と維持されてきた段々畑が四国西予ジオパークのジオポイントとなり、文化的景観への指定にむけた動きも進んでいます。強い印象を残すことができる景観とそこで生み出される柑橘。来訪者の受け入れ・滞在・交流を、地域の提供するサービスとして高め、事業化することを目指します。

  • 体験型の観光交流事業
  • 農家、漁家民宿
  • 食のサービス
  • 都市と田舎をつなぐコーディネート
無茶々園らしい海外展開をやりたい

15年ほど前から、新規就農者の受け入れ・育成とともに、海外実習生の受け入れも進めてきました。これから農業を経営として続けていくためには働き手の確保は重要です。
しかし、人手不足はあらゆる産業に広がり、これからは実習先として選ばれる時代になります。日本に、無茶々園に来て良かったと言える仕組みにしなければならないでしょう。
無茶々園の描いている海外事業は、帰国実習生の自立性と主体性を持った事業運営をベースとし、有機農業の実践と現地国内向けの産直流通を構築するとともに、日本との産物のやりとりを強めて従来の産直事業を発展させていくことにあります。
昨年、ベトナム・バンメトートでは片山に加えて2名の日本人スタッフが駐在し、事業化を進める体制を作り始めました。構想から実現の段階へ。明浜の生産者やスタッフとの関わりも深め、無茶々園の運動・事業の一つとして回り始めるように取り組んでいきます。

  • 帰国実習生を中心にした事業運営
  • ベトナムでの有機栽培の実践と農場運営
  • ベトナム国内での産直流通と国外向けの輸出入
  • 実習生の教育と送り出し
地域の必要、地域の魅力を仕事の形に

失敗を繰り返しながらもアイデアを具現化しようとしてきたのが無茶々園の強みの一つ。何もない田舎と言いますが、ここに暮らす人たちに向けても、まちの人たちに向けても、商品やサービスとして形にすれば事業化の種はたくさんあります。
2014年から開設した福祉事業所では地域に向けた総合的な福祉サービスの展開を計画しています。
旧狩江小学校の利活用にも参加し、地域の文化・交流拠点として小学校が生まれ変わることを描いています。明浜での柑橘栽培からベトナムの産物まで無茶々園の生産物をまるごと生かし、地域発・無茶々園発の新たな商品を皆さんへ提案していきます。
目指しているのは、仕事おこし・事業化によって世代、性別、出身地を問わず幅広い人たちが活躍できる場を作り、地域での経済循環を生み出すこと。ここに住環境整備が伴うことで、移住者、海外実習生、新規就農者とも一緒になって自治・祭礼が継承できる新しい地域づくりにつながっていくことでしょう。

  • 自然エネルギー事業
  • 森の仕事おこし
  • 総合的な福祉サービスの展開
  • 加工、商品開発の推進
  • 直売所、食堂、文化施設など旧狩江小学校の活用

つなぐ「人」無茶々園をみらいへつなぐ、たくさんの仲間たち

柑橘生産者 - 中川 真
親父たち世代の立ち上げ当初は有機農業の波に乗っかって拡大してきました。いまは私たち子供の世代へと交代し、若手生産者の農業に対する考え方や経営のあり方も変わりつつあります。いまの無茶々園基準の栽培であれば、経営するにはある程度の反収でも十分でしょう。少なくともそこまでの栽培をみんなが実現できる方策をこれからも考えていかないといけない。
伝統文化や先人の知恵は大事です。ただ、それだけにこだわらず壊して拓くロックな遺伝子を次世代やまだ見ぬ人たちとも共有したい。変わらないためにも変わり続けることが無茶々園の本質だと思います。いずれは理念や思想も一緒にして園地を次へとつないでいかなければならなくなります。時代に柔軟に対応していくためにも、さらに若い世代がやりたいことを自由にできる産地にしていきたいと思っています。
新規で就農する人や家の畑を継ぐ人にとって、いきなりこの明浜で農家として自立するのは難しいでしょう。休みの日にでも小さな畑を自分で管理してみて徐々に面積を広げていき、経験を重ねるにつれてベテラン生産者からも信頼されてさらに畑を任されていく、というのが良いではないかと思います。私たちの考えている理想といまの栽培技術をうまく融合して実現させていく。難しいですが、現状に満足せず貪欲になって育ち育てていきたいです。
柑橘生産者 - 宇都宮 幸博
無茶々園は産地としてどうあるべきなのか。いま僕が持っている園地を少しずつ良い園地へ移行していき、安心安全・有機農業への取り組みだけではない、他の産地や農家にはないところを作りだしていく。
さらに、地域に人を呼んで、作っているものに対して、いかにファンを作っていくか、これが重要だと考えています。「あの人が作っている柑橘だから買いたい!」という人たちをこれから増やしていきたい。
キーワードとしては「体験」。無茶々園を訪れた人たちとの関わりをその場限りにするのではなく、細く長く、さらに深い関係性を築いていくことが必要だと考えています。実は、明浜町ではいろいろなスポーツができるんです。シュノーケーリング、シーカヤック、スキューバーダイビング・・・。近くにはキャンプ場もあってバーベキューだってできます。
よく海に潜ってタコを獲ったりしているのですが、山以外にも魅力的なスポットが明浜にはあります。獲った魚やさまざまな産物を使って、ゲストハウスで生産者とお客さんと一緒に酒を酌み交わしながら、熱い思いを聞いてもらう。お客さんを受け入れる場所も作って、地域まるごと生かした交流を行い、長い付き合いのできるお客さんを増やしていきたいですね。
真珠生産者(佐藤真珠) - 佐藤 和文
漁業を取り巻く状況は日々変化しています。例年とれる時期に魚が水揚げされず、この数十年で近海の魚種も大きく変化しました。
真珠養殖も同じで、真珠をつくるアコヤ母貝の質が毎年のように変わり、前年うまくいった養殖方法では同じ結果がでない。昔ながらの漁業は今や通用しません。この変化に対応し新たなイノベーションをもって適応していくことが求められ、守る漁業と攻める漁業の両輪が必要です。
まずは海の環境を守ること。
私たち漁業者のすべての恵みは、きれいな海があってこそ得ることができます。これまで続けてきた合成洗剤の不使用、廃油石鹸の普及に加え、珪藻類を増やす海の森運動にも力を入れます。
次に攻めの漁業。
過去にはバブル崩壊、リーマンショックなど真珠産業は幾度となく苦境にさらされてきましたが、自分たちが育てた真珠を自社で商品化まで行い販売することで乗り越えてきました。これからはその先。どこでどのように買ってもらえるか。この明浜という最高の立地があるのだから、この場所で商いをする。ここに来てもらい、うまい空気を吸って、美しい山や海を見て、この環境で育てられた生産物を作り手買い手の双方が納得して売買できる。そんな仕組み作りを考えます。
自然環境や市場動向に左右されず、漁業を守り続ける。10年後もその後も未来の子どもたちが活躍できる場所がここ無茶々園であるように、これからも努力精進します。
ちりめん漁師(祇園丸) - 佐藤 哲三郎
高校を卒業後この仕事に就いて13年になります。
最初は言われたことだけをただ何も考えずしているだけでした。今では海の状態や、天気を見ながら自分で判断できるようになり、私たち漁師は自然のものを捕って生計を立てています。
ただ海の生き物を捕るだけではなく、ワカメの養殖や、ひじきの自生栽培などの海藻の森を増やす活動にも取り組んでいます。また、山では農家の人たちができるだけ農薬に頼らず農作業を行っています。山で農薬を使うと栄養豊かな水と共に海に流れ出て磯焼けなどの原因となってしまいます。
地域が一つになり、協力し合い先祖が残してくれた自然を守り、次の世代へつなげていきたい。小中学校の食育の授業を通して子供たちに環境を守る大切さを知ってもらいたい。
販売するだけでなく消費者の方々との交流を大切にしてより良い商品作りをしていきたい…そんな思いを胸に、自分の生まれ育ったこの明浜を守っていきたいと考えています。
ファーマーズユニオン天歩塾 - 酒井 朋恵
スタッフの多くは県外出身、農業経験なし。そんな集団に勤めて4年。ぶちあたる壁は多いですが、当初、自分が感じたように、「そんな暮らし(生き方)いいじゃない!」と思われる存在でありたいです。
他所から来た人間はどうやっても地元の人間にはなれません。土地、技術、経験など継承してきたものもありません。そんな「他所者、若者、馬鹿者」だからこそ、自分達ならではの視点を持ち、地域の伝統や文化を学びながら、新しい風を吹かせることができたらと思っています。
農業は一年周期の産業で自分たちのとった行動がどのような答えになるのか分かるまで時間がかかります。一年に一度しか出来ないことばかり。あと何回まともに収穫期を迎えることが出来るのだろうと、ふと感じることがあります。この魅力的な場所を満喫しつつ、スピード感を持って様々な事に取り組み、自分たちの歴史を少しずつ紡いでいけたら、と思います。
街から離れたこの場所に住んでいるにもかかわらず、毎年多くの人に出会います。色んな人に頼りながら生きていると感じます。個人的には、憧れの格好良い百姓になりたいです。
「100個、つまり多くの技術をもっているのが百姓だ!なんでも出来るように!」と尊敬する農家の人が教えてくれました。ここの暮らしや仕事を通して、そんな人になりたいです。
株式会社地域法人無茶々園 - 平野 拓也
いつも細かい字でびっしり書き込まれたストーリーやアイデアを明日にでも実現するよう求められてきました。しかしコピー用紙から目を離すとそこにあるのは傾斜の強い山からひとつひとつハサミで摘んできたみかん。大きな落差を感じながら、どちらかといえば目の前のみかんに寄りつつ、能力以上に描かれた夢の欠片をこぢんまりと形にしてきた気がします。
事業が広がっていくにつれ、私たちのような地域外出身者の役割も増してきました。農家に生まれても職業や居住地を選べるようになって久しく、反対の道がなければ農村は先細る一方。仕事として取り組める役割と、住むところ、それらを継続してメンテナンスできる経営があれば、より多くの新しいメンバーを加えることができるようになります。
生産者も若返りが進んでいます。もともとは若い農家達の実験園。無茶々園には若手へ早めに役を渡してきた伝統があります。親がはじめた有機栽培にどう向き合い、自信を持って山に上がれるか。いくら縦横へ広がっても足元の生産からは離れることはできません。
年月はかかりますが落差や傾斜地も歩き慣れてくるものです。見上げるような目標にも足元の段々畑にも並行して取り組めるのが無茶々園の面白いところ。維持していきたいのは自然だけではないこの環境かなとも感じています。
株式会社百笑一輝 - 清家 真知子
3Kと言われる福祉の仕事ですが、私たちが目指すのは新3K、感謝、感動、感激を与えられる仕事です。最後の看取りまですることで、本人、家族との絆が深まります。ここに来て良かったと言ってもらえる。足が悪くなったらそこで終わりではなく、生活の質は変わらない。支えることが私たちの仕事です。
いま順調に利用者が集まるようになりましたが、当初はデイサービスにはなかなか来てもらえませんでした。高齢者も畑仕事をしており、デイサービスは贅沢という認識があったのです。また、準備段階ではよく理解されておらず、費用が高い施設とも思われていました。
それでも、困ったときの駆け込み寺となろうと、他の施設では難しいような人でも受け入れたり、直接丁寧に説明することで理解してもらい、開所してから半年ほどたったころには利用が増えてきたと実感できるようになりました。
百笑一輝の運営する施設は、高齢者だけでなく子供や障がい者も含めた福祉の総合拠点にしたいと考えています。働く場、生きがいづくりの場となれば、情報共有の場となり、コミュニティができます。あそこに行きたいと思ってもらえる場所になるためには、人材が大事です。職員もみんな頑張って自発的に行動してくれています。地域福祉を担う人が育っていると実感しています。
ファーマーズユニオンベンチャー - 髙埜 太之
ベトナムは”平均年齢28歳”という若さと、”高いSNS浸透率”がパワーの根源と言われますが、これには自分も同感です。
ただ、既存の社会常識のなかへITを組込んだ日本とは違い、ベトナムではいままさにIT世界のなかで社会ルールを育てている段階に見えます。
私たちの農場ですら、多くの注文を”LINE”や”Facebook”のメッセージで受け、返信は”いいねスタンプ”のみ。その日に残った野菜はFacebookのタイムラインでさばきます。
当初は違和感を感じましたが、おそらく世界基準はこちらでしょう。このように、ベトナム事業は今後日本の強みを活かしつつも、「普通じゃないのは日本」と理解し、現実のベトナムにどこまで落し込めるかが重要と考えています。
また個人的には、これまでも「東南アジアの田舎にある日本人農場」と言う稀有なレッテルを活かし、利害関係のない方も含めて多くの方々を受け入れてきました。日常とは違った特殊な環境だと心が開きやすいのか、ここでは本物の人間関係がすごく築きやすい。これからも多くの人が訪れる状況・環境を整え「人生のハブ」として来訪者に価値を感じてもらいたいです。
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