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無茶々ブログ販売の部
南郡のジューシーフルーツ

2018/05/08 (Tue)

ジューシーフルーツ一大産地、愛媛県愛南町

無茶々園の春から初夏にかけての看板娘「ジューシーフルーツ」。

そのさわやかな風味とたっぷりの果汁は、これから汗ばんでくる時期にぴったりな柑橘。

無茶々園ではジューシーフルーツと呼んでいますが、本来の品種名は「河内晩柑(かわちばんかん)」。

もともと熊本生まれのこの品種が、愛南町に伝えられたのは昭和46年のこと。

愛南町の温暖な気候に大変マッチし、少しずつその量を増やしていきました。

今では全国生産量の70%(約7,100トン!)が、愛媛県南宇和郡愛南町で栽培されています。

無茶々園のジューシーフルーツも大半(80%くらい)が愛南町でできたもの。

2018年現在においては、6名の生産者が愛南町で無茶々園流の栽培に取り組んでいます。

 

さわやかな風味とたっぷりの果汁が魅力。昔は「玉三郎」という名前で販売していました。

 

 

無茶々の里・明浜から車で1時間30分ほど走ったところに位置する愛南町。

明浜と同様にリアス式の海岸が広がり、温暖な気候と豊かな自然を活かした第一次産業が盛んな地域です。

海に面した温暖な地域という点では明浜と似ていますが、

農業の取り組み方はまったく異なっており、農産物の生産も柑橘のみではありません。

平野がしっかりと拓けているので米・野菜・畜産の取り組みも盛んであり、

急峻な山々の狭間に段々畑を築いた明浜とはスケールが違います。

重機をいれて大規模な畑づくりを行ったり、水田を整備して集落営農に取り組んだり、

生産性の向上にも余念がありません。

 

明浜を飛び出してはじめたファーマーズユニオン天歩塾やドリーム農園の甘夏畑も、

もっと生産性のいい平たんな園地で大規模な有機栽培に取り組んでみよう!というものだったのでした。

一方、海においては、明浜同様に真珠の養殖が盛ん。といってもこちらは母貝を育てるのが中心。

ここで母貝を育て、宇和島や明浜で核をいれて真珠を大きくしていくのです。

また、牡蠣の養殖も主要産業のひとつ。無茶々園でも浅海さんの牡蠣が冬の定番として親しまれています。

 

 

取り組み始めて早20年

無茶々園の歴史を語る際には、避けて通れないくらい縁の深い地域となっている愛南町。

とはいえ、明浜とはかなり離れた場所に位置しています。そんな愛南町になぜ無茶々園が進出したのでしょう。

愛南町でジューシーフルーツ生産者をまとめる重鎮、

豊田正俊(とよだまさとし)さんに取り組み始めたころの思い出話を聞いてみました。

 

この人なくして南郡の取り組みは語れない、豊田正俊さん。

 

 

豊田さんが無茶々園と接点をもったのは今から30年ほど前のこと。

宇和青果協同組合(※)で理事をしていた際に、無茶々園創業メンバーのひとり、

斉藤達文と知り合ったのがそのはじまりでした。

そんな縁もあって、豊田さんが畑を整理する際に甘夏畑を3町歩ほどゆずってもらうことになったのが、

無茶々園が愛南町で柑橘づくりを本格化させたきっかけとなりました。

そして、その甘夏畑の近くに植えられていたのがジューシーフルーツ。

創業メンバーの片山元治がそれを気に入り、試しに無農薬栽培で取り組んでみたところ、

落果防止剤を散布しなかったこともあってすべて落果。

こりゃアカン!ということで、それらの樹々はいったんすべて伐ってしまいました。

 

さて、それと同じころ、関東の生協パルシステムから

「ジューシーフルーツを無茶々園で作れないか」という問い合わせがありました。

せっかくなので愛南町の生産者に声をかけ、

無茶々園流のジューシーフルーツ栽培に取り組んでみようということになり、

地域農家のまとめ役を豊田さんに担ってもらうことに。

今から20年前、1998年ごろのことです。

 

南郡での取り組みを始めた当初からのつきあい、下田道雄さん。

 

 

主要生産者のひとり、下田道雄さんにそのころのことを聞いてみると、

「無茶々園の取り組みについては、前にラジオで聞いたことがあってな。

 畜産業を営んでいたこともあってすでに堆肥を使った園地づくりをしていたし、豊田さんに声をかけられたときは、

 ちょうどよい機会だと思ってぜひ取り組んでみたいと手をあげたんよ。」とのこたえ。

とはいえ、道雄さんのような生産者ばかりではなく、

当初は栽培ルールがきちんと守られているかどうか、圃場や倉庫の視察を入念に行っていました。

また、取り組み始めた当時は無茶々園の共同選果場もまだありませんでした。

ひとりひとりの農家の倉庫に段ボールを運んで個選し、ヒイヒイいいながら箱詰めを行っていたそうです。

そのころは携帯電話などまだ普及しておらず、

豊田さんは実際に各生産者のもとをまわり、モノを見ながら数合わせをしていたとも。

「あのころに比べたらね、今は携帯電話もFAXもあるし、共同選果場もできて相当ラクになったでね。

 その分、生産に力をいれていかんとね。」

当時の苦労を思い出しながら、楽しそうに話す豊田さんでした。

 

さて、愛南町におけるジューシーフルーツの取り組みも20年がたち、生産者も次の世代に移ろうとしています。

残念ながら亡くなってしまった人、後継が途絶えてしまった人もいますが、

ありがたいことに大半の生産者には後継者ができています。

これから先も無茶々園の愛南町におけるジューシーフルーツ生産は、まだまだしぶとく続けていけそう。

無茶々園が結んだ明浜と愛南町のつながり、これからさらに深くより良くしていきたいものです。

 

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※宇和青果協同組合

大正3年創立の宇和柑橘同業組合を前身とした古い歴史をもつ柑橘専門農協です。

昭和23年に農協法制定と同時に「宇和青果農業協同組合」として発足しました。

2009年にえひめ南農業協同組合と合併、組織統合されています。