「牛鬼」愛媛県の南部には祭りに牛鬼はよく見られますが、ここ狩浜地区の牛鬼は動きが激しいことで有名です。中でも「切り回し」が見どころの一つ。重さ約300㎏にもなる牛鬼があばれまわる姿は圧巻です。
春日神社秋季大祭
無茶々園事務所のある狩浜地区では毎年10月第4土曜日に秋祭り(春日神社秋季大祭)が行われます。狩浜には「本浦(ほんうら)」「大狩浜(おおかりはま)」「門之脇(かどのわき)」の三つの集落があり、それぞれが担当する練り(出し物)があります。
・本浦:牛鬼(うしおに)
・大狩浜:五ツ鹿(いつしか)
・門之脇:御船(おふね)
このほかに子どもたちが担う「大神楽(だいかぐら)」「角力練り(すもうねり)」「巫女の舞」なども披露され、子どもから大人まで関わって地域全体で祭りを作り上げています。
牛鬼組の活動
私は本浦地区の出身で、現役の「かき手」です。かき手とは牛鬼をかつぐ者のこと(牛鬼や神輿をかつぐことを「かく」といいます)。21歳でこのかき手となり、今年で35歳。途中2年間祭が中止となったため、今年で13年目になります。
牛鬼は頭(かしら)使い一名と、かき手14名で構成されており、この総勢15名が「牛鬼組」として活動します。頭使いは牛鬼の動きを操るとともに、牛鬼組の運営を取り仕切る重要な役割で、担当できるのは一生に一度。お盆が明けると前年の頭使いを中心にメンバー選定が行われ、9月末には準備が本格化します。以降は、日曜日を除く毎晩、仕事終わりの19時から深夜まで準備作業に取り組みます。
かご作りと技術の継承
祭の約2週間前、牛鬼組は山へ入り、竹やカズラを採取します。これらは牛鬼の胴体部分である「かご」を作るための材料です。かごは「貝の口」「担い棒」「横棒」などの部品と組み合わせて作られます。
祭の2日前に行われる「かご作り」では、かつて牛鬼をかいていた先輩方(通称:黒足袋クラブ)も加わり、昔ながらの技術が若手に受け継がれていきます。特にかごを補強するために竹を縛る「ヘガシラ」という結び方は熟練の技術が求められます。「あーでもない、こーでもない」と笑い声が飛び交う、年に一度の作業を通じて自然に技術が伝承されていきます。
かご作りの様子。前後のカゴが分かれています。前後左右バランスよく組み立てることが重要です。
牛鬼の準備だけではなく
祭り前の活動は、牛鬼の準備だけにとどまらず、子どもたちが参加する「大神楽」や「角力練り」の指導も担っています。10月に入ると、毎晩19時から小学生たちが集まり、約1時間の練習を行います。練習が終わった後が牛鬼組の大人たちの時間。牛鬼の頭(面)や尻剣の修繕などを進めていきます。
続けていると、かつて練りを教えていた子供たちが、牛鬼のかき手として加わるようになりました。最近では3人の若手が仲間に加わり、生産者の藤本開紀(はるき)もその1人。私が牛鬼をかき始めた頃は小学校6年生。今では頼もしい仲間です。また、私自身も、かつて練りを教えてくださった先輩たちと一緒に牛鬼をかいていた時期もありました。こうした世代を超えたつながりこそが、祭の力だと感じます。
「祭」当日を迎えて
長い準備期間を経て、いよいよ祭り当日を迎えます。早朝5時。掛け声と貝(笛)の音が響き渡り、牛鬼組が出発します。緊張と高揚が入り混じった独特な雰囲気に包まれ、長い1日が始まります。集落では1年で最も活気づく一日でもあります。各御旅所で暴れる牛鬼に悲鳴を上げながら逃げ惑う人の姿、子どもたちの練りを見守りながら微笑むお年寄りの姿。地域内外から多くの人が訪れ、狩浜全体が熱気と笑顔に包まれます。そしてフィナーレを飾るのは「宮入り」。3体の神輿が石段を一気に駆け上がる光景は圧巻。歓声と太鼓の音が響き渡り、活気が一段と高まります。
宮入りを終えた後も、牛鬼の頭を持って集落の各戸を祓って回ります。1日中、暴れ回った体は疲労困憊。宿へ戻るのは深夜0時ごろ。起床からおよそ20時間が経っています。宿主に迎え入れられ、静かに盃を交わす。言葉少なに交わされる笑みと頷きの中に、「今年も無事終わったな」という安堵と、次の1年への思いが滲みます。こうして長い1日が静かに幕を閉じ、また新たな祭りへの準備が始まります。
牛鬼のかき手も加わって石段を一気にかけ上がり、神輿3体が宮入りします。
変わりゆく時代の中で
私の父の世代では、本浦地区以外の人が牛鬼をかくことは少なく、昔の名残として牛鬼組の御旗には「本村青年牛鬼組」と記されていますが、今では地区をまたいで牛鬼をかくことも珍しくなくなりました。また、私が始めた頃は独身者が多かったのに対し、最近では既婚者が増え、家族の理解を得ながら準備に励む姿が増えました。わずか15年でも祭りの担い手を取り巻く環境は変わっています。練りの指導や人材の確保が難しくなってきているのは、牛鬼組に限らず他の練りも同様であり、祭の継続そのものが課題になりつつあります。
私たちが受け継いできたこの伝統を、時代に合わせて形を変えながらも守り続けていくこと。それが、今を生きる私たちの責任だと感じています。
地域の人々が、「いいお祭りやったな」と言い続けられるように。
そして子供たちがこの地域の誇りを繋いでいけるように。これからも狩浜の「祭」を守り続けていきます。(川越瑛介)
お祭りの日はは町の人口が一年で一番多い日です。日本各地遠くに越していても神輿を担ぎにもどってくる人が多いです。