暮らす 働く

無茶々園をぼくらが いま、えんえん語る【第10回】

2022.06.08

感受性豊かに、伝えたいことを拾い、

いまと想いを言葉にして届ける。

 

無茶々園 いまのひと⑨

株式会社 地域法人 無茶々園 

藤森美佳  44歳

 

 

東北に生まれ育ち、東京の大学で出会ったパートナーとの縁で、無茶々園に入社した藤森美佳。細かな気づかいとやわらかな感性で、無茶々園の広報やお客さま対応などを担当する。自分のできることに誠実に向き合い、暮らすように働く藤森の、仕事や暮らしへの想いを訊いた。

 


 

“おいしい”が前提にあっての、役目。

 

-どんなことを担当しているのですか?

会員向けの通信やダイレクトメールなどを作ったり、電話対応をしたりと、広報的なことやお客さまへの対応がメインの仕事です。お客さまがどんな情報を求めているか、どんなことを伝えなければいけないのかをいつも、考えています。

 

-2か月に1回の通信「天歩(てんぽ)」は、読みごたえがありますね。

商品のことだけではなく、無茶々園の生産者さんから聞いたことや、私自身がおもしろいなと感じたことなどを整理して、お客さんにフィードバックしています。例えば、数年前、高齢の生産者さんが、「息子が継ぐかもしれないから」って、柑橘の苗木を育てているのを知りました。柑橘の木は収穫できるようになるまで数年かかります。自分の代ではなく、次の世代まで考えて仕事をしているんです。「たとえ息子が継がなくても、誰かが育てるからいいんだよ」とも。広い心意気がこの産地には息づいています。そんなことを、「天歩」に書かせてもらっています。

 

-どんな想いで発信を?

無茶々園の生産者さんが作るものがおいしいのはわかっているので、おいしさを伝える必要はなくて、お客さまが手に取ってくだされば、そのおいしさは伝えずとも分かってくれる。私は、きちんと商品を届けるためにはどうしたらいいか、そのきっかけづくりのお手伝いをしたい、と思っています。

 

 

岩手県一関市に生まれ育ち、高校を卒業後は、東京都のお茶の水女子大学に進学した。保険業界で4年間働いたのち、パートナーが働く無茶々園に27歳で入社した。

 

-大学では何を学んだのですか?

育ってきた家族の環境や、人との出会いから、「女性が働くとは」「女性として生きるとは」ということに関心がありました。だから、そんなことを学べる学科があった大学に進学しました。ただ、自分が幸せに生きていくには何が必要なのか、どういう考え方が必要なのかというのが知りたかったのです。

 

学問にはあまり熱が入らなかったのですが、大学1年生のとき、さまざまな授業で、手書きでレポートをまとめるという課題があって、本当にたくさん文章を書かされました。このときの経験や学びが今に生きています。

 

-なぜ保険業界に就職を?

社会に出るのがすごく怖くって、就職する気があまりなかったんです。そんなとき、姉が出産して赤ちゃんと対面したとき、「託す未来がここにある。私、ちゃんと自立して働くかなきゃ」って目が覚めて。そのタイミングで就職活動を始めたので、業種にこだわりはありませんでした。

 

 

 

日々の違和感から、離れる。

 

-無茶々園に入社したきっかけは?

若い世代が無茶々園に求めてくるような“あこがれ”みたいなものが私にあったわけではありません。私が東京で働き始めたころには、大学時代、学外の活動で知り合ったパートナーはすでに無茶々園で働いていました。就職して4年目ぐらいに「無茶々園が人材を募集しているよ」って聞いて、転職を決めたのです。

 

-なぜ?

どこかのタイミングで会社をやめようとは思っていました。仕事自体は面白かったのです。違和感があったのは暮らしの方。例えば、電車の中で知らない人と密着している状況にふと、違和感を覚えました。そこにいるのにまるでいない、というのか。東京で生きると、そんなふうに感じる瞬間や空間が多いなって。それに、食べものも含めて、ちゃんと生活できていなかったから、いまの暮らしを変えたいと考えていました。

 

-農業に関心があったのでしょうか?

いえ、それもなかったですね。農業にはむしろ、マイナスイメージを抱いていました。祖父母が兼業農家だったので、休みの日に遊びに行ったら農作業のお手伝い。そんなこともあって農業は大変という印象がぬぐいきれなくて。

 

それでも農業団体である無茶々園を選んだのは、ちゃんとおいしいものを作って、売っている会社なのだというのがわかっていたからです。いただいたみかんジュースのおいしさにびっくりして。もし無茶々園で働いたら、自分の扱っているものを誇張して売らなくていいな、と。ここだったら働けると決めました。

 

 

-無茶々園がある明浜地域の印象は?

人も温かいですけど、気候が温かいのがよかったです。岩手で生まれ育ったからわかるのですが、温かいってそれだけで恵まれているなと感じます。外食するようなお店はないので、よく生産者のご自宅へ招いてもらって、ご飯を振る舞ってくれました。かしこまって「受け入れますよ」という感じじゃなくて、ほどよいおもてなしがすごく心地よくって。ここで暮らすいいイメージが持てました。

 

-入社してからは?

卸を担当していました。ただ、柑橘を作る以外はなんでもするんだな、と思いましたね(笑)。2年働いたとき、妊娠したので育休・産休に入りました。すぐに復帰するつもりだったのだけれど、子どもの食物アレルギーがひどくて、結局4年間、産休・育休を取りました。途中、「そろそろ戻ってくる?」と聞かれたけれど、「もうちょっと」ってお願いして延長しました。受け入れてくれる組織の“ゆるさ”が、ありがたかったですね。

 

入社してから16年が経つ。強い意志で選んだわけではないこの地で、仕事も暮らしも、藤森自身の、生きる上で大切にしているものに寄り添っている。明浜で手に入れたのは、幸せに感じる“たね”を日常の中に見つけ、無理をしない生き方。若い頃に模索してきた「幸せに生きるために必要なもの」の答えに、知らずのうちにたどり着いていた。

 

 

 

仕事と生活、ボーダーレス。

 

-無茶々園はどんな組織でしょうか?

誰が何をするというのがはっきり決まってなくて、できる人がやる感じです。「これをやってね」とあまり言われないので、自分で考えてやらなきゃいけないという大変さもあります。おいしいものを作るという“正義”を軸にゆるやかに連携している組織です。

 

でも、ゆるさの中にも、一本筋が通っています。例えば、無茶々園には話し合いのルールがあって、「そこに正義があるか」「誰のためにするのか」「その意見は主体的かどうか」、この三つを考えて物事を決定します。そして、地域のためになることなら細かいことは気にしなくていいよ、というスタンスなのです。そこは本当にブレないですね。

 

-ご自身にとってはどんな組織でしょう。

この前同僚が言っていた言葉が腑に落ちました。「無茶々園は仕事とプライベートが分かれてないね」って。会社というより家庭に近いというか。無茶々園の中だけでカッコつけてもどうしようもないんです。いろんなことがダダ漏れで、暮らしているというか、そんな感じがすごくします。ここには頼りになる親戚がいっぱいいるっていう感じかな。誤解を生みそうですが、働いている感じがあまりしないですね。

 

保険会社時代は、朝起きてスーツを着たら仕事モード。家の中にいる私とは別物でした。ここは切り替えが必要ありません。私にとって楽です。ただ、居心地が良すぎて、だらしなくなろうと思ったらいくらでもだらしなくなれるから。でも、みんなあまりサボらないですね。自分が楽をしたいと思う人がいないから。

 

-プライベートと仕事の境目がないのは楽なのですか?

もし会社で偉そうにしていても、一歩外に出たら保護者同士だったりする。かっこつけずに自分のできることを会社でも外でもやる。自分を切り替える必要もありません。そのままの自分でいいのは、すごく楽です。

 

 

 

人の庭に心ときめく、“庭先泥棒”。

 

-いま、幸せですか。

自然の風景が少しずつ変化したり、大根を干すといった地域の人たちの日々の営みだったりで、季節を感じる日々がいいな、と感じています。みなさん、ご自宅の庭木も本当にきれいにしているんですよ。あの木はあそこの家から挿木したものだろうな、とかそんなのを想像するだけで楽しい。じゃ、私も挿木するかって言ったら、ノーです。その庭を見るだけで十分。“庭先泥棒”みたいな(笑)周りの人たちの日々の営みで幸せを感じることができるから、すごく毎日が楽しいんですよ。こっちで暮らしたことで知った豊かさですね。

 

そして、自然に無理なく、“きちんと”育ったものを食べられるってかなり幸せなことです。ここにいたら特別に買わずに、普通に享受できます。採(&獲)れすぎたからって、おすそわけしてくれる。それが当たり前にあるのもすごく幸せだと感じています。ここで暮らせて本当にラッキーです。

 

-それは、“おいしい”生き方ですね。

無茶々園の農家さんって、あまり決まりがなくて、自分たちで決めて、実行に移していかなければいけない。それを日々やっているわけです。それで、美味しいものを作っている。私はできないし、尊敬しています。そんなみなさんたちと一緒に仕事をできるのは誇りです。

 

生産者さんが作っているものを、ずっと変わらず美味しいなと思って食べています。無茶々園の商品のことを話すのはすごく好き。一消費者みたいな感覚に近いかもしれません。これからも、おいしいものをたくさんの人に届けるためのお手伝いを、地道に重ねていきたいですね。

 


 

濃淡のグリーンが描く柑橘の産地を歩きながら藤森を取材したのは、5月。新芽を見つめながら、「また、一年めぐってきましたね。風景からそれが分かるのって幸せなこと」と、彼女はうれしそうに言った。明浜の暮らしや風土、息づく人たちの機微をとらえ、外へ向けて発信する。藤森の、頭と心と身体を通してつむぎ出される言葉や編集のちからは、地域のためにある組織にとって、とても大事なエッセンスだ。これからも、ゆたかさにあふれる明浜の地で、人知れず埋もれていく想いや風景を、見つけ、ときめき、伝えていく。

 

取材・文 / ハタノエリ 撮影 / 徳丸 哲也

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