創設者 片山元治コラム
「わしらの農業」
column

農業論・・・日本農業不要論

2012.08.02

日本農業を守れから世界の家族経営を守れへ

 日本に食糧の自給と言う概念が必要なのか。昭和39年頃、私達の町でも、パンの学校給食が始まった。そして、三世帯が住む家が崩壊し核家族化が始まっ た。伊勢神宮さえも、祭りごとの儀式だけが残り、瑞穂の国の農の原点を語り継ぐものは何もない。自分達の食べ物を自給するという事は、日本の文化を大切に するという事ではないでしょうか。教育の場でパンを食う。核家族では食べ方を教える事すら出来ない。困ったときの神頼みさえも出来ない。この国には、農業 を守れないし守る必要もない。そして、日本の農業を守れと声を高くすれば、利する農業は儲かる商業農業をやっている連中だけ。地域に生き、農の文化を大切 にしようとするものは、自分の首をしめるだけです。

 新規就農者が、一の企業の新規採用者よりも医者になる数よりも少ない。自給率など考える余地もない現状の世界で、もう、日本では農業問題なんて存在しな いと判断します。食糧安保なんて片腹が痛いです。安い農産物がよければ輸入すれば良いでしょう。もう農家は困りません。農業で食えないなら農業を辞めれば よいのです。農家が農業を辞めても雇用不安は起きないでしょう。もう農家が困り、そのために国家の基盤が不安定になるような農業問題は日本では存在しませ ん。もし農業問題を問うとすれば、それは消費者の生き方の問題です。日本人としての、日本文化の問題です。決して農家の問題ではありません。そのことを認 識すべきです。

 農業には人の生きる原点が有ります。子供の頃、大地と共に心を耕さず育ったものは、どんなに優秀な人でも命の尊さが理解できず大人になる危険性を感じます。人類の存亡に不安を感じます。

 農のもつ「大地とともに、心を耕せ!」は、人類が営々として未来永劫に至って生きていく、言わば前提条件ではないでしょうか。グッチのバッグを抱えて、 家族ぐるみで安いレストランに行く都市の皆様、たまには高級レストランに行く皆様、いつも高級レストランに言って食事をする皆様。犯罪予備軍を育てている 可能性が高いことを心の隅に持つべきです。安全な食べ物を求めて、日夜奔走する奥様方、そう焦りなさんな。安全な食い物がでに入ったからと言って、長生き 出来るわけではありません。勿論、狂牛病などの危険性を意識しなはるなら、貴方がたの安心できる食べ物はありませんぞ、長生きはするには心の準備が要りま す。そのためには、もう一つ関を越えねばなりません。それは、作る人達との連帯、自然への配慮です。つまり、世界の家族農業を守ることで環境に優しい農業 ができ、そしてそれは地域の文化を食べるという事ではないでしょうか。

真土不二から地域の文化を食えへ

 先般モンゴルへ行きました。そこで聞かされたのは、モンゴルでは、野菜を食べると成人病になるのです。なんと奇妙な話しではないでしょうか。でも事実な のです。つまり、何千年もかけ、モンゴルの地で僕民として生きてきた、家畜を丸ごと食べる、一滴の血も無駄にせず食べ尽くす。という生活は、モンゴル独特 の文化を形成しながら、DNAまでも、モンゴルに適合していった。つまり、文化の形成とDNAの変化は密接な関係が有り、何世代もかけてゆっくり変化して いくものではないかと思います。急激に異文化が流入する。そして、急激に食生活が変化していく。そうすると、DNAが対応できず、本来健康であるべき肉体 が蝕まれていく。この事を、明確に物語っていると思います。その際たるものが日本ですではないでしょうか。幸い日本はお金があったため、高額の医療費を払 い、多くの人が、ガン・腎臓病・心臓・脳などの成人病にかかりながらも、病気を抱えながら生きているのです。

 健康に生きるという事は、安全で、健康な食べ物を食べているから、成人病にかからないのではなく、日本人として、日本人らしく生きる。地域文化を大切に して地域で出来たものを食べる。つまり、地域文化の変化に合わせて生きていく。DNAの限界を超える、食生活をしないという事です。

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