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生産者の引き際

2020.08.01

生産者の西野知さんが今年の甘夏の収穫をもって生産者を引退しました。園地はもとより、倉庫や選果機といった農機具も含めて若手に移譲し「すっきりとした気持ち」でバトンタッチしました。

 

会社員のように定年や契約がありませんので、生産者の引退は本人の考え方次第。もちろん病気やケガといった、止むにやまれぬ事情がある場合もありますし、子どもに少しずつ実権を渡していく、他の仕事が決まったなど様々ある中、西野さんのきっかけは海外実習生の帰国でした。

 

無茶々園で実習生の受け入れを始めたのは1997年。農地を持たない若者を受け入れるために研修生制度を作ったことで各地から個性豊かな面々が集りました。1999年にはこの若者たちの活躍の場となるようにと愛南町城辺に甘夏の園地を取得し明浜からの出作りを開始。ちょうどこの頃、生産者の代表を務めた時期もあった西野さんはその後始まった海外実習生制度も含めて、積極的に活用してきたと言います。制度をすすめた義務感からではなく明浜の立地条件と無茶々園の栽培では夏の草刈りに想像以上の体力・労力を要します。「実習生の存在なくして無茶々園の農業は成り立たない」と言うほど海外実習生も含めて受け入れた6人の若者達がいたからこそ続けられた、との実感があります。

 

海外実習生の受け入れ期間は3年。新たに受け入れて農業を続ける選択肢もありましたが趣味に使う体力があるうちにと1~2年ほどかけて引退の準備を開始し、園地は明浜に移住してきた若手生産者とUターンで戻ってきた生産者が引き継ぐことになりました。今回のように若手へ一気に託すことにしたのは無茶々園でも初めてのことかもしれません。

 

西野知さん。不知火の畑にて撮影。

 

西野さんは無茶々園の生産者となったのは40年ほど前。無茶々園では柑橘を市場流通させず消費者の方に直接販売する産直運動を始めていました。販売価格も市場に左右されることなく一定で収入が安定することは大きな魅力。とはいえ、有機栽培ではB品になってしまうものも多かったから思ったようにはいかなかったと笑います。その後、「100品目10億円」という目標のもと、生産者仲間から回収できるのかと心配をされながらも研修生の宿舎や社宅を整備、園地の買収など多額の投資を行ったことが今のてんぽ印の躍進や事務局機能の強化にもつながりました。

 

昔は生産者が会議で集まれば決まって飲み会があり、みんなで過ごした多くの時間の中で新しい発想が生まれたと振り返ります。今の時代、飲み会などもなかなかできないし、半分はくだらない話になるかもしれないが仲間と多くの時間を共有してほしい、というのが西野さんから若手へのアドバイス。無茶々園の強みは地域にたくさんの生産者仲間がいること。この利を活かして血の通った関係性を築き無茶々園はもちろん明浜という地域を未来につないでほしいとの気持ちが込められています。

 

若手を応援するつもりで農機具も全部渡したのだから農業に対する未練はない、これからは海釣りや同年代の仲間たちとクロッケーと趣味の世界を存分に満喫する、となんとも嬉しそうな表情で宣言した西野さんの引退は颯爽としたものでした。

 

無茶々園には80歳を越えてなお、10年後を見据えて苗木を植える生産者がいます。未来の託し方や引き際は人それぞれですが、今後100年続く集落を願っていることに違いはありません。

 

みんなの知恵と力を持ち寄って、この地域をつないでいきたいものです。

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