創設者 片山元治コラム
「わしらの農業」
column

片山元治、ウチの親分、どんぐり目玉に金歯がキラリ。

はじめて会った人は「なぜ、そんな事を一所懸命に話すのだろう」と感じてしまう。
たとえば水、地域、学校、石、百姓の暮らし、食べもの、老い、モノ作り、就農、そして農業。

生業の農業を継いだばかりの若い頃に地域の仲間とともに無茶々園を立ち上げる。
無茶々のことならどこにでも出かけていくエネルギー。いろんなコトに興味を持ち実行してしまう。

コツコツやるのは得意ではなく、新しいコトに興味が移ると後片付けは周りの者に。
一番辛抱強かったのはやっぱり奥さんの恵子さん。でもそのバイタリティは人を惹きつける魅力が充分。
「元が言うんやったら」と農家もスタッフも振り回されながら40年が経ちました。

「2」 ローカルアジェンダ(地域実行計画)

2012.08.02

市民セクターとはお金、知恵、労力、時間という個人資産を持ちより、協同の原則に則った市民資本による社会的責任を持った事業体が連帯した社会勢力。
対峙するは市場経済、差別化社会(競争社会)

1 全農は市民参加型コミュニテイと田舎コミュニテイーの
  相互依存型農業生産の展開が出来るか

 小泉自民党の行政改革は小さな政府・民間活力・自由競争のもと、弱者切捨て、マネーゲーム路線を推し進めようとしています。農協は自民党の統治維持機能 として各種制度で優遇されて来たが、時代変化に付いて行けず組織疲弊を起こし、小泉路線の重荷となった。(例、農地の荒廃、担い手の激減、闇米、不当表 示、高い生産資材、立ちはだかるWTO交渉、etc.)その結果、農協解体論、小泉改革路線の反体制派の牙城ともなった農協組織の解体に着手し始めまし た。農協合併、自治体合併と準備は着々と進んで居ます。農村の急激な崩壊が見えてきます。商業農業の育成(農政は1992年頃から農業後継者から農業経営 者の育成に変わった。)農業生産の商業化を進めるということです。遺伝子組み換え農産物の生産も商業化が進めば必然の成り行きでしょう。安くても作らねば ならない農産物もあります。健康的視点からの食糧確保はますます、不安定化すると予測します。

 農業基本法が食料・農村・農業基本法になぜ改正されたのか、国政さえも地殻変動が起きたにも関わらず、それよりもはるか以前から全農は地域が、農業が崩 壊する事は読めたはずです。しかし、この世の春と対応してこなかった。私達は改革の進まない、変身の進まない全農・農協と共に沈む道を選ぶのか、世の中の 荒波にもまれながらも隙間を見つけてしたたかに生きのびる道を選ぶのか命題を抱えながら産直運動に取り組んできた。

 全農は農業者の拠り所の組織であるには違いない。私達もそれを信じている。しかし、改革無くして全農に未来を感じない事も実感できる。なぜならば、組織 構造からして全農がつぶれる前に農家はつぶれる。農業で生きようとする農家は全農より一足早い生存競争に突入した。農協は農家の奉仕組織のはずが、改革が 進まない為に収奪組織となっている事を自覚して欲しい。

 協同組合間提携で連帯する生協に新たな力を吹き込むのも全農の任務であろう。しかし、全農は社会的経済勢力の一員として市場経済に対峙してきたのか。全農は市民セクターの一角を担えるのか。現状では想像だにつかない。とても考えられない。

 私達は全農が農業者の代表組織として反テクノファシズムの砦として再生すれば喜んで合流するだろう。農村革命の時代にしなやかな変身が出来ない全農と心 中するわけにはいかない。改革できない部分を外部に放出する(国の民営化も同様)、それも全農改革ではなかろうか。

2 経験主義から仮説主義へ

 農村の集落機能は過疎と高齢化のため、いたるところで麻痺し、農地は荒れ始めた。毎年当り前になった異常気象、温暖化現 象。そして、深刻な農薬汚染、農薬使用規定、化学物質の環境ホルモン化。襲いかかるO157,BSE,鳥インフルエンザ等の恐怖。禁断の遺伝子組み換え技 術。農業政策は軸足を消費者、国際マーケット対応にシフトされ、農家を売れる農産物、商品価値のある農産物の単なる生産機能集団に組み変えようとしてい る。農地を生産工場として捉え、企業の参入も時間の問題云々。日本農業を取り巻く時代変化は今までの農家の経験主義ではついて行けない状態になって来てい る。

 故郷で農業をやって生きる。本当に生きていけるのか、無い知恵を絞絞るほど不安が増えてきます。お金、知恵、労力、時間という個人資産を持ちより、協同 の原則に従って、田舎の市民セクターを育て、故郷の機能を保ちながら、どれほどの収入が必要なのか、どんな農業をやるのか、どんな仕事を興すのか。どんな 生産者とネットワークを組み、どんな都市生活者と連帯して行くか
大胆に仮説を経て、論議し、恐る恐る果敢に実践していかなければならない。今、農村は革命状態の時が流れている。

3 田舎(地域社会協同体)で働く意義(家族労働から集団家族労働へ)

 我が田舎セクターも市場経済と対峙しなければならない。当然、生産技術よりも経営能力、販売能力が問われる。研修生を含 め、3~4人ぐらいの気の会った家族の集団経営が重要となってきた。かって、親父の仕事、母親の仕事、子供の仕事、年寄りの仕事、集落の仕事等、それぞれ の仕事をして家族・地域が成り立っていた。本来、労働とは生きていくための行為であり、人生・社会教育・学習の場・生きる喜びの場・奉仕の場でもある。田 舎はそう言う働き方が出来る場所であった。ところが、労働するとお金がもらえるもので、いつの間にか、お金を得るために労働するようにった。そして、お金 だけに変えられない多様な価値が失われてしまった。効率と、競争の世界ではますます、お金万能になって来るだろう。多様な価値のある労働。それが、協同労 働です。

 私達は地域社会で生活する、仕事をする、それは、緩やかな協同労働でなければなりません。21世紀に生きていける田舎は、高齢者問題も含めて、多様な価 値を持った協同労働を如何にきっちりと組み立て、大企業に飲み込まれない事業を構築できるかにかかっています。つまり、SANTYOKU運動の再構築です。

4 農業生産資本の拡張と生産体制の充実
  (生産者責任による生産工程のデジタル管理とその開示が前提)

 農地の価値観が戦後、農地解放により農地は農家の命より大切な命を育む母なる大地であった。それが、所得倍増政策によ り、農地は資産となった。そして、農家の激減、廃園の激増により、農地は再び生産基盤となってきた。そういった意味で、農地の集約が比較的しやすくなり、 生産基盤の拡充が可能な時代になった。株式会社の農業分野新規参入も加わり、農業生産に農薬、除草剤、遺伝子組み換え等を多用しコストダウンを計り、外国 農産物に対抗しようとする方向と、「農地は健康で美味しい食べ物を生産を通して、農業者が安心して働ける場所」として、集団化、企業化し、生産基盤の拡 大、生産技術の高度化、環境に優しい農業へ意欲ある新規就農者の希望もかなえれる方向とがあろう。農業の生産基盤、地域機能は大きく、過激に変貌しようと しています。日本農業は経済を優先するか、環境を優先するかのちょっとしたさじ加減で、進む方向が大きく変わります。それは、都市の成熟社会の生活者の生 きかたに委ねられています。私達はそれに合わせて地域社会の社会インフラを整備し、楽しく生きていける地域、地域の人全員が参加できる地域社会協同組合を 目指します。

 都市の人は年中、トマト、きゅうり、レタス、キャベツ等は必要としているのだから、旬なモノを年中作るには日本列島農業者のネットワーク化が必要。つま り、生産の集団化、企業化による規模拡大と、生産技術の向上、生産体制の充実、県内農家とのネットワーク、国内農家とのネットワーク。必要ならば、農業者 間提携と都市市民セクターとの提携による国内協同出作り、国際農業者間提携による、国際出作りも時代が要求する生産者の生き方であろう。農業者は地域に根 ざしながら多岐多様な生き方を模索し、都市の市民セクターと連帯しながら、市場経済に組み込まれない、循環する社会的経済を目指す。それが真土不二、自給 自足の基本では無いでしょうか。

5 市民情報センター、市民講座開設による産直マイスター制度の確立を

 産直という言葉は相当に広い意味を抱えている。私達はその意義を[Santyoku]という言葉で表現したいと思っている。産直のトータル的発展は社会的経済を支えるであろう勢力を育て、増やし、力を付けていくだろう。そのための産直マイスター制度を提案します。

産直学校講義内容

・市民の為の正しい農薬学
・市民の為の正しい薬食同源学
・市民の為の食べ物安心安全学
・市民の為の楽しい地域資源学
・私の好きな産地学
・都市と田舎のリタイア人生学
・楽しい故郷作り
・楽しい都市と田舎のツーリズム
・都市と田舎のコミュニテイービジネス入門
・都市と田舎のコミュニテイーサービス入門
・子供たちの田舎探検隊入門
・田舎と田舎の国際交流入門
・国際貿易入門
・市民が主体の生協学入門

・皆で運用環境ISO14000(環境会計・生産工程の開示・遺伝子組み換え・環境ホルモン)入門 etc
・生産者のためのコミュニケーション農業講座(運動論・情報管理学・技術情報学・環境学)

6 人間性を破壊する市場経済と決別し、豊かな人間性の回復、地域再生のために

 

・赤旗民主主義→個人民主主義→市民民主主義
・市民が参加して官を公に取り戻す
・市民が参加して知的労働のための持続可能な地域を再生する

都市と田舎の市民ビジネス事例
=(産直マイスターの優秀な卒業生達が自分の好きな産地と取り組む市民ビジネス)

(1)フードコーデイネーターとローカルデザイナーの商品開発研究所、漬物工場、ETC
(2)都市と農村交流インストラクチャーの要請(修学旅行、結婚式場運営、家族旅行、体験旅行、知的労働者の田舎暮らし、定年帰農)
(3)社会インフラの整備と町興し→地域協同組合化(生活、介護、教育等の地域協同)
(4)情報発信のためのメーリングリスト、ブログの作成
(5)企業のリストラ労働者、個性豊かな引篭り・引篭り職員のリフレッシュ事業
(6)地場販売・直販事業・・・地元にファーマーズマーケットの開店と地元スーパー販売
(7)レストラン・ホテル、結婚式場等の御用聞き機能、予約機能、地元宅配機能
(8)量販店販売事業・・・マーチャンダイズ出来る機能(消費者動向の徹底把握)
(9)ISO14001グリーン事業等特殊販売
(10)市民が主体の国際交流・国際貿易


「3」社会的経済の国際ネットワーク化へ

2012.08.02

WTOでは食料の自由貿易国家と一定の食料自給を目指す農業保護国家の間で対立しています。販売競争はすでに遺伝子 組み換えのコスト競争にはいっています。アメリカの穀物戦略とどう対峙するか。安い輸入農産物は南の国の飢餓輸出、貧乏輸出。命を育む農産物、薬食同源の 世界とどう向き合うか。市場経済の導入により家族農業、地域文化が破壊されようとしています。

 

1 世界八八ヵ所田舎連帯を目指して!!

(1)化学汚染が遺伝子レベルにまで深刻化し、日常的に起きる異常気象・鉱物エネルギーの大量消費による二酸化炭素の増大、温暖化は地域で農業を中心に人間ら しく生きる大きな妨げとなっている。この問題は、地球規模で考えなければ解決の糸口は見えない。国際農業者の事業連帯、農家の無知からの解放が歯止めの無 い都市文明に対峙できる唯一の手段。

(2)都市・田舎・国境,言葉を超えて、農家と市民が連合して事業を組み立て、世界の田舎経済が元気になるコミュニテイービジネスが必要。

(3)狂牛病がもたらした問題…安い食べ物を求めたのでは安心は買えない。結局高いものにつく。かといって外国農産物との関係は食物連鎖としてわが国農業の仕 組みに組みこまれてしまっている。→外国産農産物との棲み分けが必要→国際農業者の事業連帯が必要→国際食料安心条約の締結

(4)生産工程の開示が重要課題になった。→国境を越えたトリサビリテイ→農家間の国際交流による信頼関係の構築なくして存在しない→身土不二を原則とした生産者同士の国際間ネットワークこそ21世紀の課題

(5)自国のものを食べるという基本に他国の文化も食べるというスタンスが必要

 

2 『日本農業を守れ』から『世界の家族農業を守れ・世界の地域文化を守れ』へ!!

(1)(何故?)国際農業の連帯なのか文明文化の情報は、世界の津々浦々迄行き届いている。文明の利器に対する願望は、非常に強い。文明と文化のアンバランスな進化が人類を滅ぼす

(2)食物連鎖・異常気象連鎖・温暖化連鎖は地球規模で動くようになった。天気は地球規模で考えなければならない。

(3)集団家族農業・家内企業農業の時代が始まった。→農は命の食物を作る・人間らしさを育てる場→都市連動型の田舎再構築→相応の代価を払う農産物

(4)安い食べ物を作る→農業の企業農業化→ミドリの地球を守る思想のないビジネス農業→世界中必要ない

(5)札束で買い叩く外国農産物→その外国農産物を農家と市民のコミュニテイービジネスとして大手商社を通さず供給→環境に優しい農業への切り替え支援
⑥経済の発展と共に、世界の田舎社会の崩壊が何となく見える。まさに、世界の田舎は日本の田舎が辿ってきた道を歩もうとしている。日本の田舎再生と共に世界の田舎の再生が必要
⑦世界中の田舎に、自然に優しい農業を中心に永続的地域社会の確立が出来なければ、日本の田舎だけが生き残る事はありえないし、都市の存続もない。

開き直った田舎と明日を担う百姓達のうめき声

2012.08.02

2002年11月に無茶々園では消費者会員の皆様を対象に無茶々園の栽培についてのアンケートを行いました。その結果を受けて片山元治が機関紙「天歩」向けに書いた文章です。

 何の因果か私達はこの十数年温暖化と異常気象に悩まされ続 けながら生きた化石のように営々とミカン作りに精を出してきました。気が付いてみれば、回りは爺ちゃん婆ちゃんばかりで集落や自治体の機能はマヒ寸前であ ります。情報が瞬時に世界中に届き地球の裏側まで1日で行ける時代に、故郷で額に汗しながらゆったりと生きていくことがこんなに難しいものなのでしょう か。無茶々園を始めて約30年。15年ほど前から異常気象の影響は深刻になり、ミカンの平均反収が半分になってしまいました(全てが異常気象のせいとは言 えませんが…)。このまま過疎化が進めば私達の町は50年以内に絶滅します。どこの国でも豊かさと引換えに田舎が滅亡しようとしています。

 昨年は農業にとって惨めなことがたくさんありました。狂牛病から無認可・期限切れ農薬の使用、不当・偽装表示、外国産農産物の不当混入等々。消費者の皆 様は大変驚いたようですが、これが当り前だったのです。消費者はドクを薄く撒かれていました。しかしながら実質の被害を受けたのは農家です。「信頼回復の ために農家は必死の努力」と新聞に大きな見出しが躍っていました。冗談じゃないです。信頼を回復しなければならないのは食べる人と売る人、そして食べ物を 管理する人です。農家は売っている農薬の中身まで詳しくはわかりません。BSEの肉骨粉など知るすべもなかった。結局誰も責任を取らず、牛飼いの一人損で す。

 外国の農産物が農薬の問題から輸入停止になり、低価格に悩まされていた農家は仇をとったように思いました。多くの農家は仇を中国や東南アジアの農家のよ うに思っていますが、とんでもない誤解です。仇は消費者・輸入商社です。安い食べ物にはともすればドクがあることを知るべきです(高いものにドクがないと は限りませんが)。それにしてもこの実質被害者も中国や東南アジアの農家なのです。彼らもドクとは思わず薬として使っているのです。

 無認可・期限切れ農薬の問題は国産農産物にも波及してきました。それらを使った農産物のごく一部が廃棄処分になりました。危機管理能力が極端に低かった 農家・農協が人身御供にさせられました。これも責任がうやむやのまま終息しそうです。都市では氷山の一角が表に出ただけで大騒動しているのに、今も多くの 農家はドクを使わなければ農業ができない仕組みになっています。美味しさを追求するあまり病害虫に弱い品種を育成してきたのです。農家への農薬の影響は消 費者に比べてはるかに高いのではないでしょうか。少しはドクと感じている人も、生活をかけている以上、病害虫が発生した場合使わざるを得ません。何とも哀 れな話です。

 不当表示の問題もほとんどは農家が行ったものではなく、しかし結果的に農家が実質損失を被ったものばかりです。白砂糖が黒砂糖より、ハムやソーセージが 肉よりなぜ安いのでしょうか。トレサビリティーなど安さを追求し過ぎればどうにでも変えられるのではないでしょうか。

 汚染がますます深刻になる中で、都市の人が本当に安全な食べ物を食べるのは人工衛星で宇宙へ行くより難しくなってきたように思います。安心・安全な食べ 物が欲しい方は、じっくり顔の見える信頼関係を作ること、緑の地球のために社会的義務を果たすことだと思います。世の中、安全な食べ物を欲しがる割には安 心して食べることは考えないようです。

 今、田舎は高齢化とグローバル化の中で開き直っています。息子も何とか都会で食っていけとる。異常気象は毎年当り前。訳の分からぬ農薬問題。百姓の収入 じゃ食べていけない。後を継がせずに良かった。わし等は食うほど作ればええ。こうゆう考えが日本列島充満しています。もうすぐ農家は音を立てて激減しま す。愛媛のミカン山も近いうちに3分の1は減ると思います。

 食べ物の安全を100%化学レベルで管理することは不可能だと思います。安心で安全な農作物は「地域文化と家族農業」を維持する以外にないと思っていま す。「世界の家族農業と地域文化を守れ」ということです。機械や道具は近代化しても、化学肥料も農薬も使わず、何代も営々として作り継がれた農産物こそ安 心して食べられるものではないでしょうか。

 農林省や農協は、安心安全な食べ物を心から欲しがる消費者と、苦境の中でも農業で生きようとしている若手農業者にとって、今までは信頼できませんでし た。それが少しずつあてになり出しました。本当は大切な組織なのです。農業を自分の代で終わらせようとしている農家には必要ありません。この辺が昨年少し 変化したところでしょうか。しかしながら、後継者のいない高齢者が圧倒的多数を占める地域で、高齢農家が実権を持つ農協で何が出来るのでしょうか。日本列 島隅々からやるせない若手農業者達のうめき声が聞こえるような気がします。

 ところで皆さん、夕立・朝立ちを知っていますか。私の子供の頃はよく夕立に合いました。入道雲から始まる過激な自然現象が強烈な記憶に残っています。今 の若者は夕立らしい夕立に会ったことがないのでは…。最近は若者達の精子の数が減少しているそうです。朝立ちしない若者が多くなったのではないでしょう か。田舎におって日々生物達を観察していますと、個体数も種類も昔と比較にならないほど少なくなりました。最近は体も小さくなってきているように思えま す。そして産卵や出産時期が狂ってきているようにも思えます。生命の多様化こそが地球進化のバロメーターと思っていましたが、生命の単純化が始まったので しょうか。そのうち人間も佐渡の朱鷺のように生きながらにして滅亡を待つような事態に直面するのではないでしょうか。

 アンケートにたくさんのご回答頂き有難うございました。皆様の貴重なご意見を心の糧として、地球の生き物としての義務を果たせるよう、ノラリクラリト楽しく頑張りたいと思っています。
2003年2月

無茶々園の環

2012.08.02

 天気のいい日は、人畜の糞に海藻や草木を混ぜて作った堆肥を入れ、柔らかくなった蜜柑畑で足をめり込ませ、まつわりつくチャボを追い払い、仲良しの草はなるべく刈らないように鎌を振るう。

 雨の日には、機を織る昔のお嬢さん達と話したり、昔の若衆と竹細工や彫り物に興じたり、立派になった盆栽を眺めながら出来立ての果実酒を賞味し、夢を語る。

 春には、農道の土手に植えた茶を役場も休みにして摘んだり至る所に自生している菜の花やくじゅなの芽、いたどり、つわふき等の山菜を採り、乾かしたり、漬物にしたり、また、磯に行って、海苔やひじき、ニナ貝などを採る。

 夏には裏山の石灰岩の隙間から出る湧き水を飲みまたさざえやあわびを踏み付けながら海に入り、ハマチやあじの群れと戯れながら泳ぐ。

 秋には、赤とんぼをかきわけながら走ったり、椎の実をかじりながら、ビール替わりに山羊乳酒を飲み、時にはいい音楽を聴き、ボール遊びに汗を流す。それとなく咲き乱れる野の花は、ほのかな香と共に、我が心を一時のメルヘンへと誘う。

 小舟に乗って魚を釣りながら、段畑の蜜柑の成長を眺め、大木となった桧に心を和ませ、自然の織り成せる芸術と共に永々と生きる。

 山へ行くと、忙しげに戯れ遊ぶ虫達を潰さないよう、古株に腰を据え、大きな掛け声とと共に一心にオールを漕ぐ息子達のボ-トを頼もしく眺めながら、潮噴 くクジラに目を遣る。今夜の食事は、玄米に伊勢海老と鯛の活け作り、青虫の食ったキャベツに曲がった胡瓜と茄子の塩もみ、オクラとピーマンの天婦羅 か・・・。蜜柑の収穫期は学校も休みにして、お町の叔母ちゃん達も踵の高い靴を地下足袋に履きかえ、和気あいあいとした蜜柑採り、食事は共同で部落中が公  民館に集まり、昇り窯で作ったお手製の食器で、勿論栄養たっぷりの自然食100才になっても医者にかかったことなどなし。虫歯なんぞ1本も無し。大晦日 の夜は、炭焼き窯の上に作ったサウナに入りながら1年間の疲れを流し来年の抱負を語り合う。また風力発電で紅白歌合戦を見るもよし朝は裸で御来光と洒落込 む。

 春、桜の下で、盆は仏と共に、秋祭りは氏神様と、正月は心新たに、色の黒い人、白い人、黄色い人、言葉は通じなくても盃を酌み交わせば、人類皆兄弟。

 そんな無茶々園の里に僕等はしたい。

イワンの馬鹿論

2012.08.02

 ロシアの偉大な文豪トルストイは文学的価値のある本を書くのが嫌になって百姓をしながら誰にでも分かる童話を書くようになったそうな。最後は無の世界を悟ってか放浪に出て野垂れ死にをしたそうな。無茶々の里までだどり着いていたなら相当うまい酒を飲んであの世にいけたのに残念でたまらない。

 そういうことを知って改めてイワンの馬鹿を読むと誠に新鮮で無茶々園のテキストとして貴重な存在となった。実に無駄のないすごい童話だと感じるのは私だけだろうか。達はイワンの馬鹿になれるか、お金という魔力に惑わされず、どの程度までならイワンの馬鹿になれるか・・・?

 私が息子といしょに40日かけて太平洋一回りの旅をした時、タイのチェンマイのゲストハウスでODAの仕事でタイにきて、仕事が終わったので観光をして いるという日本の学生にであった。彼は、17、8の女の子が4、5千円で抱けると興奮して話していた。そして今からもう一度行ってくるとでていった。何が ODAだ。エイズになってくたばっちまえ。一瞬俺も行ってみてぇなと思ったのは不純な心なのか男の本能なのか・・・。その後、彼女達がなぜ体を売るのか 知った。タイという国は田舎に住むなら飢えるということはない。椰子もマンゴもパパイヤもバナナもどこにでもある。彼女達はカセット、バイク、車、いい家 がほしいために体を売るのである。学校を卒業して皆が夜の町に就職していくのに独りだけ売れ残った娘が私だけ売れ残ったと大声で泣き悲しんだという話を聞 かされた。

 一生懸命木をこすって火を作る時代にマッチやライターを見せたらどうなる? マルクスは宗教は阿片といったが文明の利器こそまさに阿片である。南の国の どんな激田舎へ行ってもまず商売人が文明の利器を売込みにいく。そして、文明の利器で社会混乱が起きたところにキリスト文化が入り込み在来の宗教、生活習 慣を駆逐し経済の奴隷化が進む。

 永々として伝えられてきた地方宗教、そのもとで営々として培われた生活習慣は、実に自然と調和がとれものだった。それが壊れると自然破壊が始まる。持続 不可能な田舎と化す。そこに我々が今から再興しようとしている田舎の破壊されていった現場を見ることができる。このことは、南北を問わず世界中の田舎に共 通する課題だと思う。肝心なことは、文明の現状を認識しながら敢えて田舎再建に取り組みことだと思う。

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