お知らせ

狩浜の秋祭り2022

2022.11.24

「いいお祭やったな。」神輿の宮入後、老いも若きもそんな声をかけ合いながら家路につく。わが集落の秋祭には、「残念な」という声があがることはない。それは祭が維持されたこと、この地で暮らす幸福に対する感謝の念からくるものだろう。その想いは生命のリレーのように連綿とつながれてきた。

10月22日土曜日、晴、実に3年ぶりとなった狩浜の秋祭(春日神社秋季例大祭)を迎えた。コロナ第7波が立ちはじめた6月下旬から、祭を主催する神社総代、区長会の関係者は、祭を「やるか」「やらないか」どちらも間違いではなく、4箇月先のことなど神のみぞ知るといった空虚感の中、協議を繰り返したが、誰もが悩みに悩んだ。

 

女児は巫女の舞。

 

ふり返れば令和2年は神社修復工事のため1年前から祭の中止は決まっていたが、そこにコロナ禍が広がった。そして昨年、次々と姿を変えるウイルスに翻弄され、祭はやむを得ず希望を今年に託した。当然のこと、全国どこの地域も同じ状況であったことだろう。修復なった春日神社は昨夏竣工した。この厳しいご時世にあっても地区の積立はもとより、驚くほど寄附金が集まり、狩浜人のこの神社への想いは、「狩浜魂」としか説明できないほど厚いものだった。こんな経緯もあったが私たちの背中を押したのは、今年秋祭ができなければ練りの伝承が衰退し、地域の活力も失われるという危機感だった。現在、狩浜地区は明浜小在学児36人、中学生は7人である。祭りの開催を先送りすることで、練り経験者は確実に減り、指導する側の負担は増える。近隣の地区では子どもたちの練りが壊滅的状況のところもあると聞くが、ここも同じく子どもの数は一気に減った。焦りに似た気持ちは住民も同じだった。しかし高齢化率46%(施設除く)を超える地区である。年配の方もコロナ感染は恐いしリスクは避けたい。そこで、祭直前に練り関係者約150人の検査をすることや練習時の検温、体調チェックなどを徹底、家庭への対策意識の啓発や会食時の注意喚起などで、安全を確保することを約束して祭の取組がスタートした。

 

男児は角力練り。

 

3年ぶりのお祭り

さて、祭までの一か月は特別である。毎夜子どもたちに練りを教える牛鬼組の若者たちは、きっと20年・30年前、同じように練習に励んだ自分の姿を重ねているはず。そして祭のハレの日、今度は子どもたちが1箇月を共にした兄ちゃん(中にはおじちゃん?)たちの締め込み姿にわくわくドキドキしながら、悪魔を祓い暴れまわる牛鬼に懸命に声援をおくる。御船組でもイケメン青年を「○○兄(にい)」と女児たちが慕い、踊りの披露の場を共にした記憶はいつまでも忘れない。「こんな青年になりたい」「大人になったら牛鬼をかいてみたい」そんな憧れも、この素朴な祭の拠り所になっていると感じるのは私だけではないだろう。

 

牛鬼。このあたりに伝わる妖怪を模した練り物で、顔は鬼、胴体は牛、尻尾は剣をかたどっています。

 

暴れまわる牛鬼。

 

30年ほど前だろうか、秋祭テーマの寄稿に「秋祭は集落の最後の砦かもしれない」と締めくくった。その厳しい現実が目の前にある。だが、遺伝子の刷り込みに似た祭の記憶が子どもたちにしっかりと引き継がれることが、集落の維持につながるはずと確信めいた気にもなる。秋風に幟竿がギ~ギ~ときしむ音、遠くから聞こえる太鼓や三味線の音色、日ごとに熱気をおびる若者たちの雄叫びなど独特の空気感が、体内時計のスイッチを一気に祭モードに切り替える。祭を通じて同じ時間を共にして、しんどさを分かち合った仲間ができ、上に立つ者は仲間をねぎらう術や年配者から学ぶことを身につける。竹やカズラ採り、牛鬼のかごつくり(骨組み)の共同作業は気持ちをひとつにしていくためのもの(昔ながらの素材や技術にこだわるのはこんな意義もあるからだろう)。住民はそんな子どもたちや青年の成長を、手放しに喜ぶ。ここには彼らが期待される場所があり、期待に応える場面がきちんと用意されてある。子どもたちの頑張りへのごほうびである祭の御花(ご祝儀)などは、私には世代間相互扶助システムだとさえ思えてくるのである。先行く人たちが創り上げた地域の仕組は、やはり地域を維持し守る砦の一つであったのだ。

 

先代より伝来した五ツ鹿踊り。

 

ここには守るものがあり、守りたいものがある。この2つの幸せが次の百年の集落づくりにつながればいいと思う。2年ブランクの影響は大きかったが、神輿のかき手不足は地元出身者たちが全国から駆けつけその穴を埋めてくれた。小さな田舎の小さな秋祭は、集客(商業主義)のためではなく、一人ひとりが役割を果たし、その一日に全力を尽くす。自らが楽しむためのものだからこそ飾らず素朴で美しい。口コミで広がったのだろうか。最近は地域外からカメラマンをはじめ大勢の方が見物に来ているが、この祭の本旨は今も変わらずぶれていない。

翌日、一夜明け新しい1年が始まった。誰もがエネルギーを使い果たし、心地よい疲れの中、互いをたたえ合いながら神社境内の片付けが進む。どうかこの1年が集落に暮らす人々やこの地に縁ある人々にとって、幸せでよい年となりますようにと手を合わせた。

 

若者、子どもたちが踊りを披露する御船組。

 

【追記】検査では幸い陽性者が出ず、関係者一同安堵して当日にのぞんだのだが、お客(接待)を各家庭で工夫し、招く人も最小限、屋外会食を選んだ家もあるなど、対策には苦労されていた様子である。いつもの祭の姿と日常を一日も早く取り戻したいと切に願っている。

 

“秋風を切り祓いたる牛鬼(おに)笑ふ” 里詩

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