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無茶々園をぼくらが いま、えんえん語る【第6回】

2022.01.06

人一倍の精神力と体力で

組織を支えてきた、タフなひと。

 

無茶々園 いまのひと⑥

株式会社 地域法人 無茶々園 常務

国際コラボ事業協同組合 管理責任者

宇都宮 広(62歳)

 

 

組織のリーダーを40代が多く占める、無茶々園。彼らが入社するずっと前の平成初頭、地元の運送会社をやめて転職してきたのが常務の宇都宮 広だ。出荷場もリフトも過去のデータもほぼない未開の組織で長らく、経理を担当してきた。一歩引いて見守る立場となった彼に、無茶々園とともに歩んできた30年とこれからを訊いた。

 


 

いい印象だけが、人生を決めるわけじゃない。

 

-無茶々園との出会いは?

今から30年ぐらい前、友人だった現社長の大津から「無茶々園にこないか」と声をかけられたんです。少し興味もあって当時の事務所に行ってみると、奥の部屋の床が抜けているようなボロボロの建物でした。ある意味、インパクトがありました。東京からいろんなお客さんが来ると聞いていたので、正直、「え?こんなところでやってるの?」という印象でしたね。

 

-無茶々園に入社する前は、何の仕事をしていたのですか。

地元の運送会社に勤めていました。実は、事務所を訪ねる前に、出荷物として無茶々園のみかんを見る機会があって。これが、えらい小汚いみかんやった。「え?あんたらこんなみかんを300、400ケースも東京に送っとるの?」って、思わず口に出るほどの見栄えで。人生で初めて見た“無農薬”のみかんは、当時の常識で考えるなら“売り物”とは思えず、しかもそれが売れるというのだから。このときの衝撃も、無茶々園に惹かれたポイントでした。

 

 

-転職の決め手は。

それまでは、農産物は農家から農協へ、そして市場へのルートしかないように思っとったのに、当時の無茶々園の代表・片山が「わしらが作ったみかんをわしらが売る」と熱く語るのを聞いて、「変わっとるな」と思うと同時に、おもしろいなと感じました。

 

事務所はボロボロ、机と事務所だけで出荷場もリフトも何もない。そんな状況なのに、ジュースやジャムといった加工品を作ろうか、とか、どんな箱にするとか、未来の話をしていました。この会社だったら自由になんでもできるじゃないか、という期待感がありました。

 

無茶々園がある西予市・明浜の、隣町で生まれ育った宇都宮は、大学進学で福岡へ。卒業後は地元に戻り、運送会社に就職した。愛媛・松山、大阪、愛媛・宇和島と計10年務めたのち、平成4年、33歳で無茶々園に転職。当時、家族もいた。“安定”を捨て、“冒険”を選んだのは彼の野生的な直感と精神からだろう。以来、配送、経理と、組織に求められる仕事を人一倍の気力と体力でこなしてきた。

 

 

求められる職務と役割を、まっとうする。

 

-運送会社時代はどんなことを。

おもに会計の仕事をしていたのですが、デスク仕事よりも外で働くことが好きだったので、お客さんから荷物の催促の電話を受けたら、空いている2トン車で自ら配送していましたね。

 

-無茶々園に入ってからは?

入社してしばらくは、柑橘を集めて出荷する日々でした。一日何往復もみかんを集めに行く作業は想像以上に大変でした。入社して4年目ぐらいだったか、当時の代表から突然、「経理をやって」と言われて。運送会社では確かに会計をやっていたけど、経理はやったことがありませんでした。最初は「借方」「貸方」「売掛金」「未払い金」という用語の意味もわからず、慣れるのに苦労したのを今でも覚えています。

 

それまで無茶々園には経理そのものの仕組みがなく、販売のデータ的なものもありませんでした。少しずつ整理して、数字を積み上げていきました。当時はワープロで、必死に決算の資料を作っていましたね。

 

-経理の仕事の本分とは。

その年、儲かったとしたらなぜ儲かったのか、逆に儲からなかったら、なぜ儲からなかったか。この理由を明らかにしないと経営の改善はできません。経理という仕事は、その改善のポイントを明らかにすること。そこが私の役目だと思って努めてきました。

 

 

-無茶々園で30年。今、“後輩”に対して思うことは。

若い人にはあまりいらんことを言わず、「やってみたら?おもしろいかものう」のスタンスをとるようにしています。

 

歳を重ねると、昔のことを引き合いに出して、「こうやった」と説教しがち。生産者の誰かが言いよったんじゃけど、「代を譲った息子が、『こうやったら面白いんやないか』と提案してきたけど、自分はすでにやってみて失敗したケース。でもあえてそのことは言わない。『息子に失敗をさせないと次のアイデアは出てこんから』」。失敗させたら勉強になると、そんなことを言っていたんです。私らもみんな失敗して、勉強してきた。失敗を恐れず、もっとチャレンジしてほしいね。

 

宇都宮は現在、経理の仕事は後継者に託し、4年前から、無茶々園が取り組む「国際コラボ事業者組合」の仕事に尽力している。海外から技能実習生を受け入れ、産地へ派遣するというミッションだ。一方、10数年前から柑橘の栽培もはじめ、徐々に栽培面積を増やす。現在、無茶々園の生産者の一人でもある。

 

 

どうせやるんだったら、その人の人生を背負う覚悟で。

 

-「国際コラボ事業者協同組合」とは

どの産地も似たような状況で、産地の高齢化と担い手不足の課題があります。その問題をカバーしてくれる一つの力が、外国の技能実習生たちです。それまで、他の組合を通して実習生を受け入れていたのですが、どうせだったら、無茶々園で責任を持って受け入れようと作ったのが国際コラボ事業者協同組合です。

 

実は、技能実習生の失踪というのがよくあるんです。契約の3年間、無事に働いてもらって、お金もためて技術も培って国に帰ってほしい。そのためにできる限り、サポートしたいと思っています。

 

-運用の仕組みは。

農家さんから月々手数料をもらって組合を運営していますが、手数料も一般的な組合よりもかなり安く設定しています。農家がそんなに高い手数料を払って利用できないし、組合として儲けるつもりもありませんから。

 

-実習生の派遣は明浜が中心になるのですか。

現在、実習生は愛媛、高知、島根、福岡、熊本、鹿児島に派遣しています。入管申請といった書類関係から、実習する様子を見に行くことまで今、一人でやっています。数名で仕事を担えるようになれば、もっと効率よく業務を回すことができ、引いては農家さんのためにも実習生のためにもできることが増えてきます。そのためには今の受け入れ規模を、10倍以上に広げていく必要があります。

 

 

 

木陰のひと涼み、昼のビールの至福を知る。

 

-自身で柑橘栽培を始めたきっかけは。

もともと、農業に興味があったわけではありませんでした。入社してから、生産者の仲間に柑橘を分けてもらって友だちや親せきに送っていたのだけれど、せっかくなら自分が作ったものを送りたいと一念発起し、畑を借りて栽培をはじめました。

 

-現在は無茶々園にも出荷していますね。

20アールで温州みかんを育てています。農業は楽しいですよ。やったらやっただけのことが戻ってきます。苗木を植えて水かけて、次に畑へ行ったら芽が出ている。“百姓仕事”が好きな人は、植物の健気な成長に喜びをもてる人が続けられるんかなと、やってみて感じますね。

 

-大変さはないですか?

相当暑い日に草刈りをして汗ダラダラでも、木陰に入ると、体に感じる風がとても気持ちいい。木陰のひと涼みが、やりがいにも近い楽しみなんだと気づきました。私は午前中に畑仕事をしたら、家に帰って昼からビールを一本飲むんですよ。畑仕事後の昼に飲むビールがとにかくうまいのよ(笑)。それが一番の楽しみで畑に行きよるのかもしれんね。

 

 

-柑橘栽培をする社員さんはほかにもいますね。

無茶々園の働き方の一つの提案として、たとえば、金土日は無茶々園の仕事を休みにする代わり、畑の仕事をする。そうすれば、耕作放棄地への対策にもなりますよね。今、実践しているのは数人だけれど、増えてくるといいよね。押し付けずに、昼間のビールのおいしさじゃないけど、実践する側の楽しさが伝わることでジワっと広がったらいいかな。

 

-宇都宮さんにとって「仕事」とは。

仕事はある意味、自己満足です。周りの評価はもちろん大切だけれど、自分がここまでやろうと決めて、できるかできないかをトライアンドエラーで試していく。自分の中での達成感を少しずつ積みあげていく。それが結果、仕事のやりがいにつながっているのではないでしょうか。

 

 


 

「ここで働いてよかったと思うのはな、お百姓さんと一緒に酒を飲めることやね」。宇都宮はそんな言葉でインタビューを結んだ。仕事のやりがいや楽しさをみずから見つけ続けて、いま。60歳を超えても変わらず、タフな身体と精神力を持ち続ける宇都宮は、“生き方”の一つのモデルをその背中で静かに、確かに、次世代へ伝えていく。

 

取材・文/ハタノエリ 撮影/徳丸 哲也

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