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無茶々園をぼくらが いま、えんえん語る【第8回】

2022.03.05

選果場リーダーと畜産農家。

無茶々園の新しい働き方に、挑む。

 

無茶々園 いまのひと⑧

株式会社 地域法人無茶々園 

業務管理部

川越瑛介 (31歳)

 

 

宇和海を囲むように段々畑が広がる、西予市明浜町狩浜地域。業務管理部の川越瑛介は、無茶々園があるこの地域で生まれ育ち、21歳で無茶々園に就職した。選果場一筋で働き、26歳の若さで選果場の責任者になった。そして今、無茶々園の職員と畜産農家という二つの顔を持つ。そんな川越にはたらくことについて訊いた。

 


 

流れ着くように、地元の会社に入る。

 

-なぜ無茶々園に?

大学で広島に出たのですが、大学生活2年目の夏に中退して地元・狩浜へ戻ってきました。無茶々園の柑橘農家である親の手伝いをしていたある日、親から「無茶々園の選果場が忙しいけん、アルバイトに行け」って言われて。とりあえず面接を受けたら社員になることを提案されたんです。就職活動をするのも面倒だったので、無茶々園で働くことにしました。「地元で暮らしたい」という希望を叶えるために選んだ仕事です。この会社が他の地域にあったのなら、おそらく縁はなかったと思いますよ。

 

-なぜ大学を中退してまで戻ってきたのですか?

車とかバイクが好きだったので工学部に進みましたが、特に勉強したいことややりたいことがあったわけではありませんでした。学費の無駄遣いをしたくないという思いがあったのと、友達の家に入り浸ってご飯を作っていたほど、一人暮らしが嫌で嫌でしょうがなかったのが中退した理由です。

 

地元を離れてから、故郷のよさにも気づきました。地域のつながりが濃いけれど、上下関係はなく、いろんな世代の人と関わることができて、気を使わない。そんな人間関係が根底にある暮らしがとても心地よく、楽だと気づいたのです。この地域は秋祭りも有名で、お昼に「おきゃく」っていう慣わしがあって、知らない人でも玄関先に提灯がぶら下がっていたら、その家にお邪魔して、ご馳走を食べるんですよ。そんな地域性が好きですね。

 

 

川越は、多くの世帯が無茶々園の柑橘を栽培する狩浜出身。彼の両親も無茶々園の生産者だ。なりわいも暮らしも人と人との濃いつながりの中にある土地に、生まれ育つ。自分が生きやすい場所を、故郷を離れて気づいた彼は、Uターンし21歳で無茶々園に就職した。それから10年間、柑橘を全国へと発送する選果場で働く。

 

 

“狩浜に生まれ育つ”が、支えとなる。

 

-入社してからはどんな仕事を?

選果場でみかんの箱詰めをする作業員です。もともと、この選果場ができたのが、僕が10歳ぐらいのとき。それまでは、各農家がそれぞれ箱詰めしていてからここに出荷していたんです。子ども時代の収穫シーズンは、学校から帰ってきてご飯を食べたら倉庫に行って、箱詰めの手伝いをしていたので、すぐに作業に馴染みましたね。

 

それでも最初の1年間はしんどかったです。スタッフも設備も足りなかったので、柑橘の最盛期は、たった一人の上司が朝5時出社して、僕は6時に出社し、一緒に夜まで働き詰め。それが3、4年続きました。

 

 

-辞めようとは思わなかったのですか?

そもそも、入社した当時は、仕事を続けるつもりはありませんでした。トラックの長距離運転なんかもやってみたかったですし。ただ、僕が入社した当時、地元出身の職員は僕と社長だけ。他は関東とか“外”から移住してきた人たちばかりでした。最初はがむしゃらに働いていたので気づきませんでしたが次第に、「地元のやつがやめていいのか」とか「昔から知っているおっちゃんおばちゃんが一生懸命作っているのに、地元の僕が逃げ出すわけにはいかない」と思うようになりましたね。それに、人も増えましたし、仕組みもどんどんスマートになっていきました。

 

どんな仕事でも、合う・合わないはあるでしょう。僕にはこの仕事が合っていたように思います。「石の上にも3年」とはよくいったものです。ある意味、“自由”に働けるこの職場は、自分自身が働きやすい場所でした。

 

-柑橘農家で育った川越さんにとって、農業のイメージに変化はありましたか?

子どもの頃は、身近すぎて、農業に対して興味を持っていませんでしたね。無茶々園に入ってから、自分を追い込んで仕事を頑張るために、あえて借金をして、農家の手伝いで小遣い稼ぎをしていました。3月から9月ぐらいまでの休みの日に、収穫とか摘果とかずっと手伝いに行っていたんです。そのうちの一人の農家さんがすごくおおらかでやさしくて。その人柄を通して、農業という生き方に少しずつ心と目がひらいていきました。

 

 

-選果場の仕事は農家さんとのやりとりも多いですよね。

そうですね。この仕事は、生産者との信頼関係の上で成り立っています。生産者があっての僕らですし、僕らあっての生産者でもあると思っています。信頼関係がないと、お互いに言いたいことも言えません。例えば、糖度など機械で選別にかけて1割以上“はじかれたら”、その生産者に電話をしなければいけない。「◯◯ちゃん(農家さんの名前)、今回はダメやったで」「いつもやったら落ちんのに、今年はどうしたん?」と、思ったことをストレートに伝えます。僕からの電話は“いい内容じゃない”と察して、出た瞬間に冗談で「お前の声は聞きたくねえ」とか言われたりしますけどね(笑)。そんなふうに、生産者との気持ちのつながりの中で仕事をしてきました。

 

川越は2015年から、選果場の責任者になった。全国に発送する責任を担う多忙な業務に加え、2018年、結婚を機に同じ西予市内の野村地域に移り住み、週の半分を畜産農家として働く。

 

 

半端じゃできない、リアル半農半X。

 

-選果場のリーダーとは、どんな仕事ですか。

営業が振ってくるオーダーに従って、荷物の出し方、作り方を指示したり、大型トラックの手配をしたり、農家にみかんを発注する最後の確認をしたりしています。この選果場から、北は北海道、南は沖縄まで、全国へ発送されます。8〜9割は関東ですね。夏場はのんびりですが、柑橘シーズン中は10月〜12月、1月〜2月、5月の3回、繁忙期のピークがあります。

 

-責任者でありながら、畜産農家の仕事もされています。

結婚して畜産農家の婿養子になりました。家業も人手が足りず、サポートする必要がありました。ただ、無茶々園を辞めるわけにはいきません。どうしようかと悩んでいたのですが、社長の大津に相談をしたら、「こっちを週半分にせいや」って言われたんです。普通、責任者という立場で週半分の出社で認めるなんてありえないですよね。

 

 

-どんなスケジュールで働いているのですか?

週の前半は無茶々園で、残りは畜産農家として働いています。無茶々園は会議も多いので、両立はなかなか大変です。当然、割ける時間が限られていますし、手がまわらないことも正直あります。現状をどうにかしなければ、とまさに今、考えているところです。

 

具体的に言うと、月曜から水曜が無茶々園で、月曜は午前中の会議を終えた後、選果場にきて、進捗状況の確認を受けます。生産者の対応や会議の資料づくりなど、合間を見て取り組みます。水曜は夕方、販売のミーティングがあります。そのほか、打ち合わせをしたり、ポイントを共有したりして、終わるのは大体6、7時ぐらいですかね。畜産の仕事は木曜から日曜です。朝起きてまず牛に牧草を与えます。そこから夕方のえさやりまでは、掃除などとかできることをやる。しないといけないことを自ら考えなければいけないのは、無茶々園も畜産の仕事も似ているかもしれないですね。

 

-二つの仕事をするメリットは?

どっちもがそれぞれの息抜きになることですかね。無茶々園の仕事で疲れたら、畜産で息抜きをして、またその逆もできて。簡単ではないけれど、ぼくみたいな働き方が増えるとおもしろいですよね。

 

 

地元志向の若者の受け皿になりたい。

 

 

-選果場のリーダーとして心がけていることは。

極力、怒らないことです。怒ってもあまり意味がないと思うからです。ここで働く若い子たちには、「仕事はちゃんとせい、作業は楽しめよ」とよく言っています。現場仕事はほとんどが力しごと。彼らが息抜きしながら続けられたらいいな、と考えています。今の若い子たちって、本当にまじめなので。

 

-「仕事を楽しむ」とは違うのでしょうか。

僕自身、仕事自体が楽しいという感覚はよくわかりません。苦しくもないし楽しくもないものです。結局、どんな仕事を選んでも一緒で、仕事を「どうやって楽しむか」「どこに楽しみを見つけるか」という考えです。たとえば、作業員だった頃、機械で糖度が足りずにみかんがはじかれるんですけど、「今日は13度以上のみかんを自分で選んで抜いてみよう」とか、遊びを取り入れる。言われたことだけやるのは楽しくないじゃないですか。そうやって自分の中で楽しみを見つけながら、作業をしていました。

 

-川越さんのようにUターンしたスタッフさんはいますか。

スタッフのうちの3人は地域外から戻ってきた、僕の実家の近所の子たちです。僕から声をかけたり、知り合いから頼まれたり、きっかけはさまざまです。狩浜に戻って働きたい子って潜在的にもっといると思うんですよ。これからも、地元に帰りたい、働きたいっていう子たちの受け皿になりたいですね。

 

 


 

流れ着くように働きはじめ、10年。川越は、持ち前の人を観る力、接する力で選果場を切り盛りしてきた。若い世代をまとめる物腰と振る舞いには、誰からも慕われる素養があふれる。そんな彼はいま、畜産農家と選果場の責任者という二足のわらじの日々に、多くの葛藤と課題を抱えながら向き合っている。置かれた立場と状況の中で、どう乗り切っていくのか。誰も通ったことのない道を“開墾”しながら歩んでいく彼のこれからは、無茶々園に留まらず、世の中の働き方、生き方の試金石になるだろう。

 

取材・文/ハタノエリ 撮影/徳丸 哲也

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