日本から約6時間、成田の気温は3度だったのにここは灼熱の35度。半袖半ズボンで着いた先はベトナムであった。今回の目的はいろいろあったが総じて「実際に見る」であった。初海外だった私は緊張もあったがまだ見ぬ想像の世界に興奮状態のフワフワ浮いている状態であった。
というのも2週間の渡航期間中は日本語でフルガイドしてくれるベトナム人パートナーがいたのでさほど緊張はなかったのである。
ベトナムの国土面積は日本の88%弱。日本と同様、南北に長い国。人口は1億2,500万人に対してベトナムは約1億400万人。平均年齢は日本が49歳でベトナムは31歳と若いのが特徴だ。
また在留外国人数は63万人と中国の次に多い第2位と聞くと驚きだ。
無茶々園の農家もベトナム人実習生を雇っており、現在10名が同じ明浜町で一緒に暮らしている。
ベトナムに行く前まではどこか小さな国を想像していた。が、実際はそんなことは全くなかった。そう思っていた自分が恥ずかしいぐらいに。
道路にはバイク、タクシーがひしめき、クラクションの音が鳴りやまない。このクラクションは危ないから鳴らしているのではなく「私の車が通りますよ~、先に行くので飛び出してこないでね」と周りに自分の位置を知らせるためのものらしい。一応道路整備はしっかりされており、信号や標識もそろっているが、律儀に守るかどうかは別問題だ。隙間もないぐらいに並んだバイクやぶつかる寸前ぐらいの隙間で車とすれすれですれ違うのには毎度ドキドキした。
道路を走るバイク群
ベトナムの料理はどれを食べてもとてもおいしかった。歴史的にさまざまな国の影響を受けてきた背景からさまざまな国の食文化が混ざり合い、多様性に富んだ食の伝統が形成されている。フランスパンに具材を挟んだサンドイッチ「バインミー」や米粉の麺を使った「フォー」など。市場には野菜や果物がずらりと並ぶ。決して衛生的とは言えないが、これがごちそうになると思えば気にならなくなる。沢山の香辛料が使われているのもおいしさの要素だと思うが一番は新鮮さなのだろう。
ある日の晩御飯
急速な経済成長を遂げるベトナム。その中心街には高層ビルが立ち並び、電気自動車が行き交うなど、豊かで近代的な都市の姿が広がっている。一方で、路上には歩き売りの商人や物乞いの姿も見られ、田舎に行くほどその格差は大きい。こうした光景に触れるとこの国が発展の過程にあること、そしてその裏にある混沌とした現実が感じ取れる。その様子はまるで昭和30年代の日本の高度経済成長期を思わせる。もちろん、私自身はその時代を経験してはいないが、書物や映像で知る当時の熱気と重なるものがあった。
何より強く感じたのは「活気」だった。夜になると若者たちはカフェに集い、友人たちと語り合い、笑い合う。こうした時間は一見何気ない日常に思えるが、そこには確かに「生きること」の大切な要素が詰まっている。遊び、語らう。そのひとつひとつが日々の生活を支える息抜きであり、活力の源になっているのだと感じた。
路上まで席があふれるカフェ
ベトナムを訪れ、新しい世界を目にすることで確かに視野が広がったと感じたのは事実である。自分の中にあった価値観や固定概念を揺さぶり、問い直すきっかけを与えてくれた。ただ新しいものを見たり体験したりするだけなら、それは単なる消費で終わってしまう。自分の内面と対話することこそが、本当の意味での「視野が広がる」ということなのだろう。本質は「外の世界」ではなく「内なる自分」にある。
日本は少子高齢化や国内消費の低下といった課題を抱えている。かつて当たり前だった風景や価値観は少しずつ色を変え、これからの社会には、今までにはない一層の多様性と多元性が求められるのではないかと感じた。国境を越え、人と人とが支え合い、学び合うことで築かれる新しい未来。社会情勢に詳しいわけではなく明確なデータがあるわけでもないがその片鱗を、この旅の中で私は確かに見た気がした。
無茶々園の掲げた、「単なる労働力としての実習生ではなく、彼らが日本で学んで国へ帰っても、ノウハウやつながりを生かせる仕組みをつくる」という構想こそがこれからの日本とベトナムをつなぐ大きな鍵になるのではないかと思う。育った環境は異なるが、私たちは共に歩むパートナーなのである。
ベトナムコーヒーの特徴はエスプレッソにコンデンスミルクを入れた濃く甘い味である。あの味と香りはまだ鼻の奥に残っている。それよりもなにも、脳裏に焼きつくほどの濃い「香り」が残ったのであった。
鶴見悠人