1991年に創刊されたこの「天歩(てんぽ)」は、おかげさまで200号を迎えました。女性生産者を中心に編集していた第1号は、A3サイズで両面白黒刷り。表面は発刊にあたっての思いや、栽培指針変更への理解を呼びかける文章、生産者の結婚報告、ご来園いただいた方からのメッセージなどがびっしりと並び、裏面はほぼ画像のみという構成でした。
文章と画像を印刷会社に持ち込んで編集していただいていたのですが、今読み返してみても、粗削りながら「伝えたいこと、知ってほしいこと」にあふれる創刊号となっています。
48号(1999年)で初めてカラー印刷を導入。さらに 2005年には、編集作業も自社で行う体制へと移行しました。
一号一号歩みを進め、現在の発行部数は約1万部。全国各地の皆さんにお届けしていますが、これも無茶々園の産物をご利用いただく皆さんあってこそ。改めて感謝申し上げます。
天歩第一号。文字、写真いっぱいです(クリックするとPDFで見られます)
天歩作業の今昔
その昔、無茶々園では、お届けするみかんの送り状を生産者が夜なべして手書きしていました。今でこそ送り状は自動で印刷できるようになりましたが、「天歩」には現代社会では驚くほど手作業が多く残っています。封筒の宛名シール貼りに始まり、「天歩」と他のチラシを組み合わせる作業もすべて社内で行っています。
こちらの写真は、現在生産者として活躍している斉藤満天さん。12年前、中学校の「職場体験」として無茶々園に来て「天歩」の封入作業をしているときのものです。時代の流れを感じる一方、作業の流れはほとんど変わっておらず「このままでいいのか!?」と自問自答も尽きません。
天歩の役割 変わること 変わらないこと
発行し始めて30年以上の「天歩」ですが、毎年9月号では生産者紹介を続けています。見返すたびに、髪型・体型の変化などはもちろんのこと、それにまつわるあれやこれやと何度見ても思い出話は尽きません。
もちろん、生産者の風貌の変化だけでなく、たとえば57号(2001年)には「今どきの若者、百姓を目指す」と題した、農業研修生から独立する森下孝さんと、受け入れ農家の宇都宮利治さん、2人の文章が掲載されていたり、台風やカメムシの発生、あるいは豊作といったその段々畑の状況に加え、海の様子や明浜の暮らしぶり・文化など多種多様な記事で構成されています。気負っているわけではありませんが、「天歩」は無茶々園の歴史を記録しています。
SNSが主流となり、紙や郵送費などのコストが上がるなか、今まで通りとはいかないかもしれませんが、これからも変わらず明浜の日常と段々畑の様子、生産者の思い等を皆さんに知っていただける機会として、大切にしていきたいと思っています。