天歩200号を迎えるにあたり、古くからの消費者の方にも無茶々園とのかかわりを振り返っていただきました。
無茶々園と出会ってから40年近くなるでしょうか。工夫を重ね、長い年月をかけて発展し続けられていることをとても嬉しく思います。出会わせてくださった方を抜きには語れない歴史ですので、まずはその方のことから始めます。もうお亡くなりになった橋本明子さんです。全国の消費者と生産者をつなぐ活動や、世界有機農業研究会に参加するほど有機農業運動もされていました。その後茨城県の八郷町に家を建てて移住し、消費者を持つ生産農家になられました。橋本さんには、牛など動物も飼って野菜作りをしている複合農家や、米農家、乳牛生産者、果物農家など、いろいろな方々を紹介していただき、お米の農作業に連れて行ってもらったこともありました。紹介先の一つが、無茶々園で、ぜひ応援しつつ美味しいみかんをいただきましょうという話になりました。
無茶々園の柑橘類とちりめんは、はじめは生協の仲間に声をかけて共同購入し、皆にうちまで取りに来てもらっていました。最初の頃は今ほど柑橘の種類が多くはなかったと思うので、皆で取っていたのは早採りみかんと温州みかんだったかと思います。生産者の方に来ていただいて、交流したこともありました。きちんと写真や御礼状を送らなかったことは今でも申し訳なかったと思い出します。ごめんなさい。
その後柑橘の種類が年々増え続けて、みかん類がない時期は年間3カ月ほどでしょうか。うちも、子どもたちも孫たちもみかんなしにはいられない質で、10月の早採りみかんから、ほぼ2、3週間に1回ほどいろんな種類のみかんを送っていただいています。
早採りみかんの時期が来るのが待ち遠しくなります。みかん大好きの次女一家は、今年はじめにオーストラリアに帰国したので、とても残念がっています。向こうにももちろん柑橘類はありますが、無茶々園のように美味しくはないからです。無茶々園からは、真珠のネックレスとピアスのセットも購入し、子どもたちに贈りました。耳がかぶれないと言って、ピアスをいつも付けています。
いつまでも無茶々園を応援していますし、私が生きている間はいただき続けますね。子どもたちも食べ続けると思います。これからもよろしくお願いします。
東京都在住 須摩智佳子
無茶々園と消費者の交流会の様子