ベトナム

ベトナムで生きる、働く(第4回)

2020.12.02

こんにちは、ベトナムのFarmers Union Venture(ファーマーズユニオン・ベンチャー)の髙埜太之です。「ベトナムの仕事と暮らし」をテーマに、私がここで行っている活動や暮らしている上で見たり感じたりしたエピソードをお伝えしております。

今回は私が暮らす周辺の概要や歴史を、私が様々な方々からお話しを伺ってまとめた内容をお伝えできればと思います。※髙埜が調べた内容となります。

(3回目はこちらから)

 


 

ベトナム中部高原地方について

ベトナムの6つの地域区分のひとつである中部高原地方(Tây Nguyên)は、その名の通り、標高1000mを超える高原地帯の5省からなる地域であり、北西にラオス、南西をカンボジアと接する山岳地帯となります。

熱帯モンスーン気候でありながら標高が高く涼しい気候です。また、水源地が多く、殆どの地名が水を意味しており、それらの水は一度カンボジアのメコン川へ流れ込み、後に再びベトナムへと戻り、南シナ海へと流れます。

また、ダクラク省にはベトナムに存在する54少数民族のうちの、なんと9割以上が存在する超多民族地域であり、戦争終結後のドイモイ政策による文化変容がきっかけで、唯一の民族紛争が起きた地域でもあります。

 

ベトナム中部高原地方の歴史

かつては江戸と朱印船貿易を行っていた海洋国家のチャンパ王国と、アンコールワットで有名なクメール王国の支配下にあった地域です。19世紀より阮朝やフランスの統治下となり、20世紀まで自治区体制となっていました。

ベトナム戦争時には南北の軍事力が、カンボジアとの国境を跨いで山岳地で交差した為、激戦地となりました。またその後、1977年からのベトナムによるカンボジア・クメール・ルージュ政権討伐の為の重要拠点となりました。

 

 

 

 

 

 

ダクラク省バンメトート市について

ダクラク省の省都であるバンメトート市は、標高600mにある人口約40万人の中部高原最大の街です。象とコーヒーの街として有名ですが、カシューナッツ、コショウ、カカオ、蜂蜜などの世界的産地でもあります。

また、「ダクラク」は中部高原最大の少数民族である、エデ族の言葉で「湖水」を意味しています。また、ダクラク省のほとんどの地名がエデ語由来であり、日本の北海道の地名が、アイヌ語由来である感覚に近いと言えます。

 

 

ダクラク省バンメトート市の歴史

ベトナム戦争終結・解放時のバンメトート市は、少数民族が暮らす山岳地帯した。人口密度が低かった為、国営企業は北中部の省から労働者を誘致して、土地や住居を割り当て、森の開墾を行い、コメの生産を始めました。

その後、カンボジアとの戦争経て、更にベトナム各地から人々が誘致され、省を挙げてコーヒーの生産を開始。2000年頃より、コショウの生産も盛んになり現在、世界有数のコーヒー・コショウ・カシューナッツ産地となっています。

 

 

 

 

 


 

今回はここまで。まだまだ奥深いベトナムの地理歴史。これからも新しい驚きにどんどん出会うことでしょう。今からとても楽しみです!

(つづく)

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